トヨペット トヨエース

トヨペット トヨエース
トヨペット トヨエース 昭和34年(1959年)

“街の顔”となった小型トラック。

トヨタの小型トラック、その名もトヨエース。昭和29年(1954年)にトヨペット ライトトラックSKB型として登場し、翌々年にはトヨエースという愛称が付いた。

その後は、時代に合わせて進化し、なんと令和2年(2020年)まで60年以上も販売され続けた。エースには第一人者という意味があるが、トヨタの商用車の中ではまさしくエースでもある。

派手なカラーのその理由は?

トヨエースの前と後ろ
パネルバンのトヨエース
屋根が青、車体が黄色と白、下が赤と派手なカラーのトヨエース。側面には「フランス堂のレモンパン」とあり、キャラクターのイラストが添えられている。お菓子店の配送トラックである。

上の画像は、昭和34年(1959年)登場の二代目トヨエースだ。昭和30〜40年代の街では本当によく見かけたトラックである。当時、トヨエースと言えばライトグレーに塗られたトラックだったが、上の画像の車は青、黄色、赤と派手な色に塗られており、屋根のある荷室がついている。

そして車体の側面には「フランス堂のレモンパン」とあり、お菓子店の荷室付きトラックつまりパネルバンであることがわかる。したがって、このトヨエースの派手なボディカラーは、菓子店のコーポレートカラーが塗られているというわけだ。

実は、このフランス堂なる菓子店は現実には存在しない。上の画像のミニカーは、当時のカタログに掲載されていたトヨエースの架装例のイラスト、つまり荷台の代わりに荷室をつけたパネルバンはこんな感じ、というイラストをもとに作られたものなのである。でも、実際にこのようなトヨエースのパネルバンは日本の各地で走っていたことだろう。

二代目トヨエースのカタログ
「企業の時をスピードアップする」というキャッチフレーズで始まるトヨエースのカタログ。フランス堂のパネルバンもこのカタログに登場する。挿絵の多くが写真ではなくイラストで描かれているところも昭和を感じさせる。

オート三輪の市場に挑んだトヨタ。

さて、ここからはトヨエースの生まれた経緯に焦点を当ててみよう。初代トヨエースの生まれた昭和29年(1954年)と言えば、商用の貨物自動車として活躍していたのは三輪自動車であった。いわゆるオート三輪である。マツダ、ダイハツなどの大手をはじめ多くのメーカーからさまざまなオート三輪が販売されていた。

もともとオート三輪は、オートバイの後ろにリヤカーを付け合体させた形の乗り物であり、普通の四輪のトラックよりはずっと安価な車だった。戦後すぐの厳しい時代では、この手軽さ、安さが受けた。オート三輪は、瞬く間に全国に普及していったのである。

ダイハツHD型 三輪自動車
ダイハツHD型
戦前に作られた三輪自動車。オートバイにリヤカーを付けたという形で、オート三輪の原型である。
SuFlyer, CC0, via Wikimedia Commons】
マツダオート三輪
マツダのオート三輪
手前が日本通運仕様の車、奥がバキュームカーである。昭和30年代には各地でこんなオート三輪が見られた。

しかしトヨタは、三輪自動車でオート三輪の市場に切り込もうとは考えなかった。あくまでも四輪の自動車のメーカーとして、オート三輪に対抗できる価格の四輪トラックを売り出そうとしたのである。そこで登場したのが初代のトヨエースだ。

排気量1000ccの1トン積みで、エンジンを運転席の足元に搭載。トラックといえばボンネット型という常識を破ったセミ・キャブオーバー型とした。これによって荷台の面積をボンネット型に比べ広く取れることになった。しかも、シンプルな設計にして製造コストを下げ、それまでのトラックと比べ低価格を実現したのである。

初代トヨエース
初代トヨエース
昭和29年(1954年)登場した初代のトヨエース。ドアは前開き、フロントガラスは分割型の旧式なデザイン。しかし、オート三輪に対抗できる四輪車として生み出された画期的な車でもあった。
Mytho88, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

時代の流れがトヨエースに味方した。

この当時、競合するオート三輪は、大型化や装備の充実が進んでいた。便利に使われ人気もあったオート三輪だが、やはり積載量や運転のしやすさ、居住性の点で問題を抱えていたのである。しかし、そんなユーザーニーズに応え改良を進めると価格は上がらざるを得なくなる。トヨエースが登場する頃には、オート三輪と四輪トラックとの価格差はかなり縮まっていた。

さらに、この頃から日本各地の道路の整備も進み、自動車はより高速で走ることができるようになってきていた。ここでも、高速では不安定なオート三輪は敬遠されるようになっていったのである。

まさにトヨエースが登場した頃は、四輪トラックに追い風が吹いていた時代だった。トヨエースは発売当初こそ売上は低迷したが、発売翌々年の昭和31年(1956年)には価格をさらに大幅に下げ、PR活動を徹底して売り込みを行った。トヨエースという名前が付いたのもこの頃で、当時のトヨタの意気込みがうかがえる。

時代の流れに加え、トヨタの努力の甲斐もあってトヨエースは大ヒットする。実際、昭和32年(1957年)、四輪トラックの販売台数はオート三輪を上回ったが、その記録に大きく貢献したのはトヨエースであったに違いない。

二代目トヨエース紹介動画
昭和42年(1966年)型の二代目トヨエースを紹介する動画。2019年に行われた「昭和レトロカー万博」に登場した車とのことである。50年以上前の車だが美しくレストアしてある。

二代目は、オジサン顔だった。

さて、二代目のトヨエースであるが、初代から大きくデザイン変更された。特にキャビンのデザインは凹凸の少ないシンプルなものとなった。これは大量生産に対応したためでもある。しかし、そのシンプルなデザインが、この車のアイデンティティを決定づけるものともなった。

初代と比べてみるとよく分かるが、この車の前面は完全に顔に見える。2つのヘッドライトが目であり、ベンチレーターが鼻、下のグリルが口である。

フロントが人の顔に見える自動車は少なくないが、このトヨエースほど顔に見える車はないのではないか。しかも、商売に使う小型トラックであるがゆえに「働くオジサン」というイメージがピタッと来るのである。

トヨエースを前から見た
トヨエースのオジサン顔
目と鼻と口が微妙なバランスで揃っていて顔に見える。
廃車となったトヨエース
ひっそりと佇むオジサン
すでに役目を終えたのだろう。ナンバーの外されたトヨエースである。オジサン顔であるがゆえか、どこか哀愁が漂う。
Tennen-Gas, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

このページの最初に昭和30〜40年代の街ではよく見かけたトラックと書いたが、実際に昭和34年(1959年)登場の二代目トヨエースは、昭和46年(1971年)まで10年以上も製造されていたロングセラーであった。

それに加えてこの車の「働くオジサン顔」が効果的だったことも間違いない。他のメーカーのトラックやバンも街にはたくさん走っていたはずなのであるが、この顔はやはり目立つのである。

商用車がオート三輪から四輪トラックへとシフトする時代に生まれ、ヒットしたトヨエース。特に二代目トヨエースは、誰もが知っているオジサン顔のトラックとして街中で活躍した。まさにこの時代の“街の顔”ともなったのである。

昭和の銀座を走る
昭和38年(1963年)の銀座を走る自動車を撮影した貴重な動画だ。当時のNHKニュースで流されたフィルムである。セドリック、クラウン、コロナなど往年の名車が走る中に二代目トヨエースの姿も見ることができる。