ダイハツ ミゼット

ダイハツミゼット
ダイハツ ミゼットMP5 昭和38年(1963年)

なぜ売れた?軽のオート三輪。

ダイハツミゼットは、昭和32年(1957年)に発売された軽のオート三輪。スバル360と並び戦後のモータリゼーション発展期を代表する車。ゆるやかなカーブを描くフロントに小さなバンパーの付いたデザインが、今見てもキュートである。

商店や零細企業向けに独自設計で。

その頃、街のお店で配達などに使われていたのは主に自転車やオートバイであった。本来なら普通のトラックやオート三輪にしたいのだが、手が出せる値段ではなかったのである。そこでダイハツは、商店や零細企業向けに購入しやすい軽のオート三輪に目をつける。

それまでにも軽のオート三輪は売られていた。しかしそれは、既存の車を活用して作られていたモノだった。そんな中でダイハツは、独自に設計し、工場で一貫生産した軽オート三輪を売り出したのである。スタイルがよく、値段も手頃ということで売れないわけがなかった。

マスメディアで大々的にキャンペーン。

ミゼットというと、「ウチも買うたわ。配達にはやっぱり車が便利やね」なんて、関西弁で得意げに語る商店の親父さんの顔が浮かんでくる。ミゼットはもちろん全国発売だったが、関西がよく似合うのである。それはやはり、テレビCMの強烈なイメージがあるからだろう。

昭和33年(1958年)からダイハツは、大阪テレビ放送(現在の朝日放送)の連続コメディ「やりくりアパート」を一社提供し、ミゼットの生CMを流した。CMには「やりくりアパート」に出演していた大村崑、佐々十郎、芦屋小雁などの関西のタレントが登場。大人気となった。

大村崑のCMといえば、オロナミンCが有名だが、ミゼットはそれよりも早い。まさにミゼットは、マスメディアで宣伝しヒットした車のハシリと言ってもいい。

ミゼットの生CM
ダイハツが提供する「やりくりアパート」の出演タレント大村崑と佐々十郎の掛け合いで、ミゼット、ミゼットと車名を連発するCMが話題を呼んだ。

バイク&リヤカーから、トライモービルへ。

最初のミゼットは、DK型。一人乗りで屋根と背面は幌、しかもバーハンドルであった。それはオートバイでリヤカーを引く格好であり、オート三輪の原型といったタイプ。やはり、雨も降るし、未舗装道路からの埃もひどく、屋根付き、ドア付きの車がほしいというのが当然の成り行きであった。

ダイハツミゼットDK型
ダイハツ・ミゼットDK型
最初に売り出されたのはこのタイプだった。
DK型の車内
バーハンドルで屋根は幌。ドアもない。足元にあるのはキックスターターだろうか。

そこで、昭和34年(1959年)には、二人乗りでドアと屋根付き円形ハンドルのMP型が売り出される。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に登場するミゼットもこのタイプだ。

最初はアメリカや沖縄向けにトライモービルという名で輸出され人気となり、それが国内販売されるようになった。当時のCMでも、アメリカで大人気と伝えている。ダイハツ生まれのアメリカ育ちというコピーが時代を感じさせる。

ミゼットMPの新発売CM
シカゴの全米自動車ショーの様子を紹介。トライモービルがショーの人気をさらってしまったと伝えている。語り手のロイ・ジェームスもなつかしい。

ウチにもクルマがある、ミゼットがある。

昭和30年代前半は、庶民が自家用車を持つなんて、夢のまた夢であった。仕事用の車であっても、一般の商店や零細企業では簡単には購入できなかった。

ミゼットはそこに入り込んだ。「ウチもそろそろ車を。ミゼットなら、ゼイタクじゃなく商売のためなんだから。値段も手頃だし、テレビでもコンちゃんがミゼット、ミゼットと言ってるし・・・」なんて会話があったりなかったり。いずれにしても、「キヨミズの舞台から飛び降りたつもりで」ということで商店主や会社の社長さんはミゼットを購入した。

実際に当時の値段を調べてみるとミゼットは20万円前後。普通のオート三輪が40〜50万円したので、その半値以下で購入できた。ちなみにスバル360は42万5千円であった。同じ軽でもスバルよりも安かったのである。さきほど紹介したCMでも「2輪車なみのお値段」と紹介している。

昭和30年代の映像に登場するミゼット
商売や仕事にミゼットが活躍している様子がわかる。

スバル360が自家用車を持ちたいという庶民の願いをかなえた車なら、ミゼットの方は繁盛のためという大義名分のもとに、商売をしている家庭に広まった自家用車と言えるだろう。事実、ミゼットMP型のカタログには「おやすみには…アベックでミニカー・ドライブ」と、仕事ではなくレジャーで使うことを提案しているものがある。

こんな経緯で、ミゼットは日本人が自家用車を持つようになった時代を象徴するクルマのひとつとなったのである。