スズキ キャリイ

スズキ キャリイL40 昭和44年(1969年)

商用車だが、イタリアン・デザイン。

台形のスタイルで、四角いヘッドランプ。長く伸びた金属製バックミラーがキュートなワンボックスカー。スズキの軽商用バン、スズキ キャリイである。上の写真のタイプはキャリイ4代目のL40。昭和44年(1969年)から昭和47年(1972年)まで製造、販売されていた。もちろん同じデザインの軽トラックもあった。

排気量は360ccで、ワンボックスのドアも現在のようなスライドドアではない。しかし、この4代目で初めて5ドアのバンとなった。それまでは3ドアで、荷室のドアは後ろだけだったので、使い勝手が向上している。

スズキ キャリイのスタイル
キャリイのスタイル
四角いヘッドランプに長いバックミラーがおしゃれだ。横から見ると、どちらが前か後ろかがわからない。

発売時のキャッチフレーズは「韋駄天キャリイ」である。前のタイプより馬力がアップしており、俊足のイメージを持たせたかったのだろう。同時に、バンが5ドアであり、荷物を積んだり降ろしたりする作業がよりスムーズになるという意味も含めたのかもしれない。

キャリイのCM
バンではなくトラックのCMだが、韋駄天キャリイのイメージをダチョウのアニメを使って表現。確かアメリカの昔のアニメにもこんなのがあった。

あのジウジアーロがデザインした。

この車、全体的にスマートで垢抜けた印象だ。それもそのはず、4代目キャリイは、商用車ながらイタリアのデザイナージョルジェット・ジウジアーロがデザインしているのである。ジウジアーロと言えば、日本人にとって馴染みがあるのは、いすゞ117クーペだろう。いや、いすゞ117クーペがジウジアーロのデザインであることを知り、かっこいい車にはデザイナーがいるのだと認識した人も多いだろう。

いすゞ117クーペ
いすゞ117クーペ
ジウジアーロデザインと言えばまず思い出すのはこの車。かっこいい車はイタリアン・デザインなのである。
Tennen-Gas, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
フォルクスワーゲン ゴルフ
フォルクスワーゲン ゴルフ
1974年に登場しヒットしたゴルフもジウジアーロデザインだ。直線的なデザインがキャリイを彷彿とさせる。
Kazuyanagae, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

スズキはなぜ軽の商用車のデザインを海外のデザイナーに依頼したのだろうか。この車は、彼女を横に乗せて海岸通りをドライブするような車ではない。商品の配送や荷物の運搬に使う車なのである。しかし、ここがスズキのスズキたる所以でもあるのだ。

スズキがキャリイの初代を登場させたのは、昭和36年(1961年)。スズライト・キャリイという名前で、当時全盛期を迎えていた軽のオート三輪に対抗する軽四輪商用車として投入された。しかし、同時期にはスバル、ダイハツなどからも軽四輪の商用車が出されており、最初からライバルが多い市場への参入でもあった。

そこで4代目のスズキ キャリイにはそれまでの軽四輪商用車にはなかった新しさ、魅力が求められると考えたのだろう。それも他のメーカーが気づかないような新しさである。

デザインにこだわった、その理由は。

スズキは、画期的で革命的なアイデアで多くの車をヒットさせている。昭和45年(1970年)登場のジムニーは、本格的四輪駆動を軽の世界に持ち込んだ車として世界的にヒットし、今でも納車1年待ちとか言われる人気車である。また、平成5年(1993年)に発売したワゴンRは、現在の軽自動車の主流となっているトールワゴンの元祖である。

そんなスズキであるから、この時もそれまでの日本の軽商用車には無かった魅力を注ぎ込んだ。そのひとつがジウジアーロデザインである。スズキは、何をしたかったのか?ヨーロッパの商用車のかっこよさを実現したかったのではないだろうか。

スズキ キャリイの実車(前からみたところ)
スズキ キャリイ実車(前)
落ち着いたライトグリーンの車体である。乗用車としても使えそうな車である。
Tennen-Gas, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons】
スズキ キャリイの実車(後ろからみたところ)
スズキ キャリイ実車(後)
バックドアの傾斜の具合がよくわかる。他の軽商用バンには見られないスタイルだ。
Tennen-Gas, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons】

フォルクスワーゲンタイプ2とか、シトロエンタイプHなど、確かにヨーロッパの商用車は絵になるが、ヨーロッパは町並み自体が日本の商店街とは違って絵になるのだから、当然といえば当然である。

でも、スズキは「機能重視の商用車とは違う車にしよう」と考えたのだろう。しかも、この4代目キャリイからは、デザインに合わせてインテリアや室内装備も充実させている。乗用車としての使用も見込んでいたようである。

この時代、70年代初頭は、車に意見を持つ若い世代が商店や中小企業の中心的な働き手となりつつあった。そんな世代の感覚に合わせようとしていたのかもしれない。かっこいい商用車であり、商売以外でも普通に使え、乗っていて自慢できるような車としたのである。

若い人向けに売り込んだキャリイ。

スズキ キャリイのカタログを見ると、スズキの戦略が読み取れる。それまでの軽の商用車の宣伝といえば、商売繁盛がテーマで、社長さんが喜んでいるようなものが多かった。

しかし、キャリイのカタログに登場するのは社長さんや商店の親父さんではない。若いカップル、当時の言葉で言えば“ヤング”である。さらに、カタログの表紙に大きく掲げられているNEW CARRYのロゴも、当時の若者に流行していたサイケ調だ。

スズキは、こんな調子で、ジウジアーロデザインのキャリイを訴えるのである。スマートなヤングが軽の商用車でご満悦という図は最初は違和感があるものの、慣れてくればそれなりにかっこいいと感じるのだから不思議である。

スズキ キャリイのカタログ①
トラックのカタログであるが、若い男女のモデルを使って展開。おじさんの店主や社長は出てこない。
スズキ キャリイのカタログ②
こちらはバンのカタログである。キャッチフレーズは「お店のイメージアップにこの一台」。やはり、目指すのは繁盛ではなく、イメージアップなのである。

こうして登場したキャリイだったが、そのかっこいいデザインが仇となる。バンの荷室の後部がフロントと同様に斜めになっていたため、荷室の狭さがユーザーに敬遠されたのである。結局、ユーザーはかっこよさではなく、商用車としての能力を重視していたのだ。この狭さは続く5代目で改善されるが、それはもうジウジアーロデザインではなくなっていた。

キャリイ4代目から見える、今の軽自動車事情。

このスズキ キャリイ4代目にはさらに特筆すべき話題もある。昭和46年(1971年)、スズキは、このキャリイのキャンピングカー仕様を登場させる。軽の商用車を乗用車として、しかもオートキャンプで使える車として訴えたのである。当時のカタログにはキャンバス製のベッドやサイドカーテン、ルームランプなどが装備されていると書かれていた。

また、昭和45年(1970年)に開催された日本万国博覧会では、4代目キャリイがベースの電気自動車が使用されている。それはスズキが、電池製造会社と共同開発したもののようである。今から50年以上前に軽の商用バンを電気自動車にしようという発想にも驚かされる。

スズキ キャリイの電気自動車
万博で使用された電気自動車
1970年に大阪で開催された日本万国博覧会で使用された電気自動車。4代目スズキ キャリイがベースであることがわかる。これは、浜松市にあるスズキ歴史館に展示されているものである。
Ypy31, CC0, via Wikimedia Commons】

こんなキャリイの展開は、21世紀の現在、多くが実現しているのだから面白い。今、軽自動車をベースにしたキャンピングカーで最も使われているのはスズキエブリィである。エブリィとはキャリイのバンの現在の名前だ。

また、令和5年(2023年)には、スズキ、ダイハツ、トヨタが軽の商用バンをベースにした共同開発の電気自動車を公開した。企業への電気自動車の導入促進のためのプロジェクトのようである。

今の軽自動車のスタイルを形作ったスズキ。そのスズキのスローガンは「小さなクルマ、大きな未来」だが、スズキキャリイ4代目は、まさに未来を予言していた車だったのだ。

スズキ キャリイの動画
今も走ることができる4代目キャリイバンを紹介する動画。インテリアやエンジンの様子などを細かく見せてくれている。これは、インドネシアで作られた動画だ。日本では4代目キャリイのトラックは多いのだがバンにはなかなか出会えない。それだけ希少なのだが、インドネシアには残っていたのである。
それにしても、日本の軽自動車のファンと言うかオタクが海外にもいるというのが興味深いところである。