
フランスのこだわりを注ぎ込んだ、車。
個性的なフェイス、丸みを帯びたやさしいフォルム。ルノー ドーフィンである。1956年から1967年まで製造、販売された、フランスはルノーの小型車だ。個性的に見えるのは、後部に搭載したエンジンで後輪を駆動させるリアエンジン・リアドライブ、つまりRR車だからなのだろう。

丸みを帯びたスタイルで、車体のサイドには独特なラインが描かれている。スピード感を強調しているのだろうか。バックには大きめのラジエターグリルがあり、リアエンジン車であることがわかる。
あのルノー4CVの後継車。
戦後のルノーと言えば、1947年から製造、販売されたルノー4CVが有名だ。4CVもRR車であり、丸くてかわいいスタイルである。ルノー ドーフィンはその4CVの後継車として登場した。ゆえにその駆動システムを受け継いだ車となっている。
ルノー4CVは、ドイツのフォルクスワーゲン ビートルの影響を受け、フランスの大衆車を目指して開発された車であった。経済的でよく走る4CVは人々に受け入れられ、ルノー戦後初のヒット車となった。日本でも日野自動車が1953年からライセンス生産を行っている。そのフォルムから“亀の子”と呼ばれていた。やっぱりかわいいイメージなのである。
さて、そんな4CVの後継として登場したのがドーフィンであるが、ルノーがまず考慮したのは第二次世界大戦後の経済復興であった。戦争が終わって10年ほど経過し、庶民の暮らしも豊かなものとなり、各地の自動車道路も整備が進んでいた。そこでルノーは、庶民がよりグレードの高い車を求めるだろうと考え、ドーフィンを開発したのである。

ルノーの戦後初のヒット車4CV。よく走る車としてフランスを始め世界中で受け入れられた車である。日本でも亀の子という愛称で親しまれていた。なお、後ろの車はドーフィンのスポーツタイプ、ドーフィンゴルディーニだ。
【Wikisympathisant, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
新時代の流行を取り入れた。
ドーフィンは、開発にほぼ5年をかけ、当時のルノーが持つ先端技術を注ぎ込んだ車となった。4CVの動力システムを踏襲しながら、よりパワフルで経済的な車へとグレードアップしたのである。
しかもスタイルは、1950年代の車によく見られたポンツーンスタイルだ。それは、前後のフェンダーとボンネットやトランクが一体になったスマートな形で、当時流行のスタイルであった。しかも、車内空間が以前の車より広いというメリットもあった。
戦後すぐに登場した4CVは、ヒットし、多くのユーザーに親しまれていた。だが、発売後10年近く経つと、古臭さが目立つようになってきていた。しかも、競合メーカーからは、スマートな新しい車が続々と登場してきている。そんな状況を考慮し、ルノーは、新時代の流行を取り入れたスタイルで勝負したのである。

1958年に撮影されたドーフィンの写真。モノクロであるため色は不明だが、そのスタイルのスマートさがよくわかる。当時の宣伝写真かもしれない。
【Clyde Burdette, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
このページの最初に掲げたドーフィンは、よく見るとフロントにラジエターグリルがある。エンジンは後ろにあるため、ここにラジエターグリルは不要なのだが・・・。実は、このグリルはダミー、つまり飾りだそうである。全てのドーフィンに同じダミーが付けられていたわけではないが、こんなバージョンも販売されていたのだ。
当時の多くの新型車は前にエンジンを搭載するFR車であり、車のフロントに目立つラジエターグリルが付いていた。そして、それが車のデザインポイントにもなっていた。そこでルノーも、新型車ドーフィンの新しさ、かっこよさを強調するため、ダミーのグリルを付けるという、いわば涙ぐましい努力までしていたのである。

1965年にオランダで撮影された写真。イースターのイベントで交通規制が行われた時の様子らしい。ドーフィンの右隣はフォルクスワーゲンのタイプ3、後ろはフォードのタウヌスである。どの車もポンツーンタイプである。
【Eric Koch for Anefo, CC0, via Wikimedia Commons】
女性の視線を考慮したカラー計画。
ルノー ドーフィンの開発にあたって特筆すべきことがもう一つある。それは、女性の好みを考慮に入れた車作りを行ったということである。大衆車の開発で女性のニーズを考えるのは今では当たり前だ。しかしルノーは、この車ドーフィン開発時に独自の調査を行い、女性は車の色に対して強い意見を持っていることを知り、車のカラー計画に積極的に取り組んだのである。
折からパリの著名なデザイナーのポール・マロットからも、ルノーの会長宛に手紙で、「戦後のパリの自動車は一様に陰気な色使いであり、もっと鮮やかで明るい車が必要だ」との意見が寄せられていた。
ポール・マロットは、画家でスタイリスト、そしてデザイナーとして1920年代から70年代初頭まで活躍していた女性である。特に彼女のテキスタイルデザインは、草花をはじめとする自然をモチーフとし、明るく鮮烈な印象を与えるものだった。
そこで会長は、マロットをドーフィンの開発チームに招く。会長は「これでルノーの息苦しいイメージを払拭できる。これまで黒か白かグレーだった車体も、幸せな色に塗られるだろう」と語ったと言われている。

車体とダッシュボードのカラーが見事に調和したインテリア。ドアの内側とシートのツートンカラーもオシャレだ。このシート生地もマロットが開発した。
【ZidaneHartono, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

ドーフィンのボンネットには王冠とイルカをあしらったエンブレムが付けられている。これもマロットのデザインである。
【Mic from Reading – Berkshire, United Kingdom, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
マロットは、ドーフィンのために新しいボディカラーとインテリアカラーを提案。そこには、競合他社の車とは一線を画す明るい色が含まれていた。色の名前も単にレッドとかブルーではなく、ルージュ・モンティジョとかブルー・ホガーといった魅力的なものにした。
例えば、ルージュ・モンティジョのモンティジョはポルトガルの南部にある都市の名であり、その都市の家並みに見られる赤い屋根の色をイメージしたのかもしれない。いずれにしろドラマ性にあふれたネーミングである。
1962年のアメリカのテレビCMである。この車の経済性やコンパクトさを謳ってはいるが、運転しているのは女性モデルであり、「ママにとっては運転しやすくカッコいい」といったナレーションが入る。やはり、女性に選ばれる車という点も“売り”だったのだ。
「世界で最も美しい4人乗り」
このようにこだわって開発し作り上げたドーフィンは、発売されるや話題の車となり、フランスだけでなく海外でも成功を収めた。アメリカのある自動車専門誌はこの車を「世界で最も美しい4人乗り」と称賛したそうである。やはりマロット提案のカラーバリエーションが、目論見通りとなったのである。
この後1960年代に入ると、ルノーは、あの大ヒット大衆車ルノー 4を生み出すことになる。しかし、「車にも女性の視線を取り入れ美しく」というフランスらしいこだわりを注ぎ込んだドーフィンは、この時期のルノーにとって、とても意義深い車となったことは間違いない。
ルノー ドーフィンのスタイルやインテリアからメカニズムまでを詳しく解説した動画である。走る様子もたっぷりと収録されている。