メルセデス シンプレックス

メルセデス シンプレックス
メルセデス シンプレックス 1902年

現代の自動車、その原点がここに。

1902年生まれの自動車。「メルセデス」という名前が付いているが、メルセデス・ベンツの前身となった自動車メーカーDMG(ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト)社が作った車である。

この車、いわゆるクラシックカーの形である。しかし、このスタイル、そしてこの車に備わる機構こそが、現代の自動車技術の基礎をなす革新的なテクノロジーの所産なのである。

では、どんな点が革新的だったのだろうか。その前に、まずこのメルセデスシンプレックスの前身となったメルセデス35HPについて語ろう。

「明後日の車を」という依頼から。

メルセデス35HPとは、メルセデスシンプレックスが生まれた前年の1901年にDMG社が製作した35馬力の車である。それは、DMG社の販売代理店であった実業家エミール・イェリネックから製造を依頼された車であった。

その時のイェリネックの依頼は、「今日や明日の車ではなく、明後日の車を」というものだった。

明後日の車ということだから、ちょっとデザインがいいとか馬力があるといった程度のものではない、新しい何かが必要だった。そんなイェリネックの依頼に応え、DMG社は、メルセデス35HPを作り上げる。

メルセデス35HP
メルセデス 35HP
エミール・イェリネックから依頼されて製造した35HP。新たな技術が詰まった車であった。
MartinHansV, Public domain, via Wikimedia Commons】

軽量ボディに頑丈なシャーシを備えたその車には、それまでの車には無かった技術が生かされていた。

新たな技術の一つは、車の重心の低さである。この車以前の19世紀末の車と言えば、エンジンの上に運転席があるため重心が高い。重心が高いということは、倒れやすいということでもある。少しスピードを出してカーブを曲がろうとすると危ないことになる。

エンジンのパワーがアップしてくるとこの点が問題になる。倒れやすいため、スピードを上げることができないのである。そこでDMG社は、エンジンを運転席の前に配置し、全体の重心を低くした。こうして、スピードを上げても倒れにくくしたのだ。

メルセデス35HPレース仕様
メルセデス 35HPレース仕様
当時の宣伝写真だろうか。下にメルセデスレースカーと記されている。座席は2つでヘッドランプもない。
Mercedes-Benz-Werkphoto, Public domain, via Wikimedia Commons】

オーバーヒートを防ぐ仕組みを作った。

メルセデス35HPの革新的な技術はもうひとつある。それは、エンジンの冷却装置であるラジエターの開発である。ラジエター自体は19世紀に蒸気自動車で実現していたが、現在の自動車と同じ形式のラジエターを搭載したのはメルセデス35HPが最初であった。

当時の車は、長時間走ったり、スピードを出したりする場合、エンジンのオーバーヒートが問題だった。DMG社は独自の技術でエンジンを効率的に冷やす仕組みを作ったのである。

35HPのエンジンとシャーシ
35HPのラジエター
メルセデス・ベンツ博物館にある35HPの動力部分の展示である。新たに開発されたラジエターが前面に取り付けられている。
【© Foto: Ra Boe / Wikipedia Original; Lizenz: CC by-sa 3.0

重心が低く、エンジンを効率的に冷やすラジエターを持つ、つまり現代の自動車の基本的な仕組みがこの車メルセデス35HPで初めて実現したわけである。これによって自動車は、自動で走る車であるだけでなく、馬よりも速いスピードで、一定して、安全に走ることができるようになった。

実際にメルセデス35HPを依頼したエミール・イェリネックは、車が納品されると各地で行われていた自動車レースに出場。メルセデス35HPは、期待通りの走りを見せる。

その走りの素晴らしさに当時の自動車業界は驚き「私たちはメルセデス時代に入った!」と語ったという。

レースで優勝した35HP 当時の写真
レースで優勝した35HP
1901年、フランスのニースで行われた自動車レースで優勝した。運転したのはエミール・イェリネックに雇われたドライバーヴィルヘルム・ヴェルナーである。
La Vie au Grand Air, Public domain, via Wikimedia Commons】

35HPをさらに大型に、より高級に。

メルセデス35HPの後継として作られたのが、メルセデスシンプレックスである。35HPの革新的な機構はそのままに、1902年以降さまざまな馬力のシンプレックスが製造された。最終的にエンジンは90馬力にまでアップし、サイズも大型の高級車として人気を得た。

メルセデス シンプレックスの側面と正面
メルセデス シンプレックスのスタイル
重心が低く、大きなラジエターグリルが目立つ。

名前の「シンプレックス」には、操作がシンプルで気持ちよく運転できるという意味が込められている。当時の車としては運転が簡単だったのだ。それだけ特別な技術が無くても運転できる、つまり信頼できる車であったというわけである。

最後のドイツ皇帝であった ヴィルヘルム2世が、自動車展示会でこの車を称賛した。

その時彼はこう言ったという「このエンジンは本当に美しい。でも、それほどシンプルではないね。」名前はシンプレックスだが、シンプルな技術ではなくて、たくさんの工夫が詰まっている素晴らしい車だと言いたかったのだろう。

シンプレックスの実車
メルセデス シンプレックス実車
ドイツ博物館に展示されている1906年型。ラジエターグリルの真ん中にメルセデスのロゴが入っている。
Benutzer:Softeis at de.wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
レースに出場したシンプレックス 当時の写真
レースに出場したシンプレックス
1902年、ニースのラ・テュルビーで行われた山岳レースに出場。重量1000kgを超えるレーシングカー部門で2位となった。
Lost to History – Image is 110 years old., Public domain, via Wikimedia Commons】

名前の「メルセデス」はどこから?

さて、DMG社はこうして皇帝からも称賛された自動車を作ったわけだが、この車をダイムラーシンプレックスではなく、なぜメルセデスシンプレックスと呼んだのだろうか。「メルセデス」とはどこから来ているのだろうか。

実はこの名前はメルセデス35HPをDMG社に注文した実業家エミール・イェリネックの娘の愛称なのである。

エミール・イェリネックとメルセデスの写真
エミール・イェリネックと娘のメルセデス
イェリネックが膝に抱いている女の子が娘のメルセデスである。この女の子の名前が今も企業名として使われている。
Here, Public domain, via Wikimedia Commons】

当時イェリネックは自分の持つものの多くにメルセデスという名前を付けていたらしい。DMGとしては自分の会社の名前を付けたかったのだろうが、メルセデス35HPと名付けた。

しかし、より速く、力強く、耐久性のある車の名称が女性名というのが大いにウケたようだ。「これからはメルセデスの時代だ!」なんて評判も聞かれるようになった。そうなってくると、この名前を大いに活用しなければならない。35HPに続く車であるシンプレックスでも使用し、DMG社は1902年に「メルセデス」を商号登録したのである。

メルセデスの文字が入った広告
メルセデスの広告
1916年のDMG社の広告。メルセデスブランドを告知している。メルセデス・ベンツで使われているスリーポインテッドスターのロゴも下に見られる。
Jupp Wiertz, Public domain, via Wikimedia Commons】

この名前が、今もメルセデス・ベンツとして企業名で使われているわけだ。実際にベンツの車は海外ではメルセデスと呼ばれるのが普通だ。欧米の人にとっては響きが良い言葉なのだろう。

また、最近のベンツ車に搭載されている音声認識システムも「Hi ベンツ」ではなく、「Hiメルセデス」で起動するようになっているため、日本でもメルセデスと呼ぶ人が多くなっているそうだ。

20世紀の始まりにふさわしい車だった。

そこで結論。メルセデスシンプレックスは、現代の自動車につながる革新的な技術によって作られた車であるとともに、メルセデスという名前を用いて一歩進んだブランド戦略を展開した車でもあったのだ。

まさに20世紀の始まりの時にこの車が登場したというのが、自動車の黎明期にふさわしい出来事であったと言わなければならない。

メルセデス シンプレックス動画
レストアされ今も動態保存されているシンプレックスを、余すところなく紹介している。走る姿は圧巻である。