スバル サンバー

スバル サンバー
スバル サンバー 昭和36年(1961年)

エンジンは後ろに、荷室は広く。

アニメのキャラクターのようなかわいい軽自動車。初代のスバル サンバーである。バンパーとその上のラインが個性的な顔つきを演出し、“クチビルサンバー”とも呼ばれ、愛された。

上の車はワンボックスのバンタイプであるが、荷台の付いたトラックも同時に販売されている。登場したのは、昭和36年(1961年)で、2代目が昭和41年(1966年)に出るまで5年間販売されていた。

スバルと言えばよく取り上げられるのはあのスバル360だが、この車、スバル360の完成後すぐに開発がスタートしている。乗用の国民車としてヒットした車に続く、商売用の国民車という意気込みがスバルにはあったのだろう。

スバル360初代
スバル 360
スバルと言えば忘れてはならない国民車、スバル360。登場は昭和33年(1958年)。この写真の車は、初代の360である。シンプルだが、曲線が美しいデザインだ。サンバーはこの車に続いて開発がスタートしている。
Mytho88, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

リアエンジンの商用車として。

スバル サンバーには、リアエンジン車という大きな特徴がある。つまり、エンジンが後ろにあるということである。ここもスバル360が関係しているが、テントウムシとも呼ばれたスバル360はドイツのフォルクスワーゲンビートルのように後部にエンジンを載せ後輪を駆動させるRR、つまりリアエンジン・リアドライブ車であった。その流れを受け継いでいるのである。

この当時、鈴木自動車のスズライト キャリイやダイハツ工業のハイゼットなど、軽の4輪トラックやバンが登場してきていた。しかし、それらは多くが前にエンジンを搭載し後輪を回すFR(フロントエンジン・リアドライブ)であった。したがって、運転席の前にはボンネットがつく。しかし、サンバーの場合は、後ろにエンジンを搭載しているため、前輪の上が運転席となるキャブオーバーとなり、荷物室や荷台を広く取ることができた。

スズライト キャリイ
スズライト キャリイ
鈴木自動車が昭和36年(1961年)に発売した軽の商用車。バンとトラックがあったが、上はバンである。ボンネットがあり、乗用車のライトバンを思わせるスタイルだ。
Mytho88, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
サンバートラックの後部
リアエンジンのサンバー
サンバートラックを後ろから見たところだ。荷台の最後部にエンジンが入っている。なお、この車は昭和44年(1969年)製の2代目サンバーである。
dave_7 from Lethbridge, Canada, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

しかも、RRのメリットは荷物スペースの広さだけではない。後ろに載せたエンジンがよい重りとなって坂道でもスリップが少なく、安定して走ることができたのである。また、当時の商用車では珍しくサスペンションに4輪独立懸架を採用していた。これによりソフトな乗り心地となっていたが、荷台に載せた品物の破損が少ないという商用車ならではのメリットもあった。

スバル サンバーのスタイル
スバル サンバーのスタイル
サンバーのバンは、当時はまだ珍しかったボンネットのないキャブオーバータイプ。エンジンはリアに積まれている。現在の軽よりも全体のサイズは一回り小さいが荷室は広く、そこが人気だった。

使用目的を考えて生まれたキャブオーバー。

商用車にとって、積載量が多く、大型の荷物でも積めるというのは大きな魅力である。また、揺れがソフトなサンバーは、壊れやすい荷物でも安心して運べただろう。特に大きな板ガラスや畳を扱うお店などでは、サンバーでないと商品が運べないということで絶対の信頼を得たようである。

競合他社の軽商用車も、サンバーの登場以後はみなキャブオーバータイプへとモデルチェンジしていった。特に荷室の広さというのは、車のサイズに制限のある軽商用車にとっては差別化の大きなポイントとなったのである。

牛乳販売店と竿竹屋のサンバー
サンバーの使用例①
手前が牛乳店で、幌をかぶせた荷台に配達用の牛乳を積んでいる。この頃の牛乳はガラスのビンであった。
また、奥は竿竹屋のサンバーだ。長い竿竹を積んで狭い路地でも入って行った。
ガラス店のサンバー 大きなガラス戸が載せられている
サンバーの使用例②
こちらは、ガラス店のサンバーである。大型のガラス戸を積んでいる。

実は、軽の商用車で最初にキャブオーバーを採用したのはサンバーではない。昭和35年(1960年)に販売を始めたくろがね ベビーが最初である。くろがね ベビーは、オート三輪の老舗メーカーであった東急くろがね工業が開発した四輪の軽自動車で、やはり荷台、荷室の広さから評判となっていた。

スバル サンバーは、そのくろがね ベビーの後を追ったことになる。だが、オート三輪から出発したくろがねとは違い、サンバーは日本の商売の事情を考慮して作られた四輪の商用車であった。開発姿勢のベースが異なっているのだ。それゆえ、扱いやすさや信頼性からくろがねベビーを抜いて大きくヒットすることになる。

昭和30年代の商用車ニーズとは・・・。

昭和30年代、一般の商店や中小企業をターゲットに開発され大ヒットした車に、軽のオート三輪ダイハツ ミゼットがある。登場したのは昭和32年(1957年)である。最初はオートバイに荷台を付け幌をかぶせたような車であり、ハンドルもバイクのようなバーハンドルだった。

それが2年後の昭和34年(1959年)には、屋根とドアが付き、丸いハンドルの付いた軽自動車へと進化していった。ユーザーからすれば、大枚をはたいて買うのだから荷物がたくさん積めて、雨の日でも濡れたり汚れたりせず、運転がしやすいのがいいというわけである。当たり前だがそんな商用車をユーザーは求めていたのである。

ダイハツミゼット 初代と二代目
ダイハツ ミゼット
ミゼットも最初は、オートバイにリヤカーを付け、屋根を付けたという乗り物であった。それが2年後には右下のような三輪トラックとなる。このタイプのミゼットが昭和の懐かしい車としてよく取り上げられる。

この当時、ダイハツや鈴木自動車など軽自動車のメーカーでは、商売用の四輪軽自動車の開発に力を入れていた。スバルはその中で、商売に使う車に求められるニーズを考慮し、荷台の積載力を優先させたキャブオーバーの商用車サンバーを開発し、売り出したのである。

サンバー カタログ動画
初代サンバーのカタログである。やはり荷台が広くたくさん積める点を強く訴求している。やさまざまな商売で活躍することに加え、休みの日には乗用車としてという使い方も提案していて面白い。それにしても、登場する人物や風景の昭和30年代感がたまらない。

こだわりのスバルの答えだった。

もともとサンバーがキャブオーバーを採用したのは、スバル360の技術を応用し、リアエンジンとしたためであった。しかも、キャブオーバーは運転席が前輪の上にあるため、事故の際には運転手が危険というデメリットもある。

しかし、スバルでは、キャブオーバーの方がボンネット車と比較して前が見やすく事故の予防において有利であるという研究結果から、敢えて積載力を優先させたキャブオーバー型にしたという話がある。

実際にこの後、スバルの軽乗用車がフロントエンジンになってもサンバーはリアエンジンにこだわり続けた。軽の商用車にとってはそれが最適であるという絶対の自信をスバルは持っていたのだ。

求められるのは何かをユーザーの視点から考え、自分たちの持つ技術を使って最適な答えを探り、それを形にする。自動車メーカーにとっては当たり前のことではあるが、昭和30年代にそれを商用の軽自動車で実践したのが、このスバル サンバーなのである。

サンバーの実車動画
旧車のイベントで見られた初代サンバーの動画である。外観をはじめ運転席の様子や足回りなどが撮影されている。360cc時代の軽自動車だが、運転席が意外と広くて乗りやすそうである。
観光地である鬼押出し園の駐車場の写真
駐車場で見られたサンバー
絵葉書だろうか、昭和39年(1964年)に群馬県の観光地である鬼押出し園の駐車場を撮影したカラー写真。当時の懐かしい日本車を見ることができる。この頃にはすでに自家用車でドライブというレジャーがあたりまえのものとなりつつあった。手前の列のいちばん左にサンバーが停まっている。また、奥から2列目の真ん中あたりにもサンバートラックがいる。結構人気車であった。
Alden Jewell, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】