BMW 700

BMW700スポーツ
BMW 700 スポーツ 1961年

BMWを救った、BMWらしくない車。

BMW700は、1959年に登場したBMWの小型車である。しかしこの車、BMWの顔ではない。BMWといえば、フロントにある左右対称のラジエターグリルが特徴だが、それが付いていないのである。

あのシンボルが付いていないBMW車。

BMWの左右対称のラジエターグリルは、キドニー・グリルと呼ばれ、1933年から付けられている。BMWならどの車にも付いている言わばシンボルだ。それほど重要なキドニーグリルがなぜBMW700には付いていないのだろうか?

この車はRR、つまりリアエンジン・リアドライブで、エンジンは後部にある。それゆえ、車の前部にはラジエターグリルが不要なのである。したがってキドニーグリルも無い。簡単に言ってしまえばそういうことなのだが、それではなぜBMWは自社のシンボルの無い車をこの時期に製造、販売したのだろうか。そこにはBMWの深い事情がある。その事情が興味深い。

BMW車のキドニーグリルいろいろ
BMW車のキドニーグリル
BMWといえば、昔からどの車にも付いている。
BMW700の前部
BMW700の前部
リアエンジンのBMW700にはキドニーグリルは無い。

イセッタをライセンス生産、戦後のBMW。

BMWはドイツの会社だ。航空機エンジンのメーカーとしてスタートし、第二次大戦前からオートバイや自動車の製造を行ってきた。常に最先端のエンジン、車両の製造技術で信頼を得てきた会社でもある。

戦後は1948年から操業を再開し、1951年には大型乗用車の製造も再開した。しかし、売れ行きは芳しくなかったようだ。ドイツは戦後急速な復興を遂げたが、1950年代の初めはまだ復興は始まったばかりであり、消費者も大型乗用車を購入する余裕はなかったのである。

そこでBMWは、1955年からイタリアのイソ社が開発したマイクロカーをライセンス生産した。BMWイセッタの製造、販売である。BMWイセッタは、車の前部がドアになるというユニークな車であり、復興期の庶民の足として活躍した。

BMWイセッタ
BMWイセッタ
イタリアのイソ社からライセンスを得てBMWで生産したマイクロカー。
イセッタのドアを開けたところ
イセッタのドア
前部がハンドルごと開くというユニークな構造の車だ。
nakhon100, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

さらにBMWは、このイセッタの改良版であるBMW600を1957年に投入。それは、イセッタの前部ドアのデザインを残しながら、普通の乗用車に近づけた車であった。エンジンの能力をアップしてリアエンジン・リアドライブとし、車の後部を伸ばして4人乗りとした。

BMW600
BMW600
BMWイセッタの形のまま後部を伸ばして4人乗りとした。エンジンは後にある。
Lothar Spurzem, CC BY-SA 2.0 DE, via Wikimedia Commons】
BMW502
BMW502
50年代にBMWで生産していた大型車。この車とマイクロカーが当時のBMWのラインアップだった。

危機的な状況の中で生まれたBMW700。

BMWは戦後の一時期、こうしたマイクロカーの製造、販売で持ちこたえていた。しかし、1959年には倒産の危機を迎える。やはり、大型車とマイクロカーだけでは自動車メーカーにしてはあまりにも貧弱なラインアップだったのだ。しかも、1950年代の終わりともなると、マイクロカーの人気も頭打ちになっていた。需要のある普通の小型乗用車を登場させなければならなかったのである。そこで生まれたのがBMW700だ。

BMW700は、600の機構をスペックアップするという形で作られていた。ここでグリルの問題がより明らかになる。700は、600がベースであるためリアエンジン車であり、キドニーグリルも無かったのである。しかしBMW700は、普通乗用車であった。マイクロカーとは違い、ドライバーを満足させる走りを見せた。エンジンも排気量以上にパワフルで、軽量の車体と相まって最高時速は125キロをマークした。

また、BMWは、デザインをジョヴァンニ・ミケロッティに依頼した。ミケロッティと言えば、フェラーリやマセラティ、アルファロメオなど数々のスポーツカーをデザインしたデザイナーだ。BMWの力の入れようもわかるというものである。特にこの車はミケロッティがデザインした小型車の中でも傑作と言われ、スマートなスタイルに仕上がっている。

BMWミュージアムで見られたBMW700
BMWミュージアムのBMW700
ジョヴァンニ・ミケロッティデザインのこの精悍なスタイリングを見よ。
ナタナエル・バートン, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】

BMW700の成功により、BMWは危機を脱した。

BMW700は、当時の一般庶民、つまり、いまさらマイクロカーではないが大型車を買えるわけでもないという人々を引き付けた。手軽な値段でスポーツカーのようなドライブが楽しめる車としてヒットしたのである。当時の広告でもこの車のスピード、運転しやすさ、悪路走破性などさまざまなメリットが紹介されている。

BMW700の広告映像①
高速走行や不整地走行など700の走りが強調されている。
BMW700の広告映像②
運転のしやすさやスタイルのよさなどを訴えている。

また、BMW700は多くのレースにも参戦し、数々のタイトルを獲得した。実際にそれだけの能力を持った車だったのである。ちなみにこのページの最初に掲げたBMW700スポーツは、1961年のブリティッシュ・エンパイア・トロフィーに出場した車である。

レースで活躍するBMW700
この動画の最初の部分に当時のフィルムが収録されている。

そして、このBMW700の成功により、BMWは経営危機から脱することができた。ベンツによる吸収合併計画もあったが、それも回避できた。BMW700は、会社の経営立て直しのまさに立役者となったのである。

車のメーカーとしての想いとユーザーニーズが一致。

このように、BMW車のシンボルであるキドニーグリルの無い車が、BMWの救世主となったのだから皮肉なものである。最も、BMW自体が生き残れるかどうかの瀬戸際だったのだから、キドニーグリル云々という状況ではなかったのだろう。しかし、戦前から高性能エンジンやバイク、車を開発してきたBMWとしては、自分たちの技術力を結集した車をここで作りたかったというのは、正直なところなのではないだろうか。

戦争が終わり、再出発したものの思うようには売れず、マイクロカーのライセンス生産でお茶を濁して来たが、ここで自動車メーカーとして本格的な車を、という想いがBMWにはあったに違いない。その想いが、車を求めるユーザーのニーズと一致したのである。