チェコの大型リアエンジン車。
フロントグリルの位置にヘッドライトが並ぶ大きな車。タトラT603である。この車、エンジンはボンネット内ではなく、後ろにある。しかも後輪駆動で走る。つまりRR(リアエンジン・リアドライブ)車である。ゆえに、車の前部にはグリルが無く、ライトが3つ並ぶ個性的な顔になっている。
さらに面白いのは、この車がチェコの車だということ。1956年に、当時まだ共産圏であったチェコスロバキアの自動車メーカータトラで開発、製造、販売された車なのである。
タトラとは、どんな自動車メーカー?
まずはタトラというメーカーについて語っていこう。タトラは、19世紀なかばに馬車のメーカーとして開業。後に鉄道車両の製造なども手掛けるようになり、1897年からは自動車製造を始めた会社である。
現在では乗用車の製造は行っていないがトラックの製造は行っており、悪路走破性や耐久性が高い車両を送り出している。また、鉄道車両も有名で、特にタトラの製造する路面電車はタトラカーと呼ばれ、チェコや東ドイツ、ロシアなどの東側諸国をはじめ各国で導入されている。今も現役で活躍している車両も多い。
戦前からリアエンジン車の開発を始めた。
さて、タトラは20世紀初頭から自動車の製造、販売を始めたが、1930年代になるとエンジンを後ろに積む車の研究、開発を行うようになった。当時流行していた流線型の車を実現させるために、リアエンジンの後輪駆動車が最適と考えたのだ。そして、1933年には大型の車体で空冷エンジンを後ろに積んだ車タトラT77を完成させる。この車がタトラT603の原型とも言える車である。
タトラは続いてT77a、T87、T97と改良を繰り返していった。しかし、1939年に第二次世界大戦が始まると、チェコスロバキアがドイツに併合されたためタトラもドイツの管理下に置かれ、ドイツ軍の車両製造を行うこととなった。小型乗用車の製造も細々と続けられてはいたが、リアエンジン車の開発はここで頓挫してしまう。
戦後、ドイツの管理下から解放され、大型リアエンジン車の開発が再開するが、チェコが共産圏の国となってしまったのがタトラの不幸なところであった。戦後のタトラは共産主義体制の計画経済の統制下に置かれることとなる。独自性のあるリアエンジン車を、他のメーカーと競争をしながら開発、製造し、自由に販売するという機会が奪われてしまったのである。
共産圏の国での開発、製造は・・・。
こんな状況の中で、1947年にリアエンジンの中型車T600が生まれる。このT600は、共産主義下の計画経済という意味を込めてタトラプランという愛称が付けられ大量生産されるが、政府の命令により突然生産は中止となる。生産効率を重視すればタトラはトラックの生産に集中すべきという理由であった。当然タトラ側は抵抗したが、抗うことはできなかった。
ところが、タトラの技術陣は統制下でも新型の開発を密かに続けていた。そして、1953年には正式に政府から開発の認可を受け、1956年にリアエンジンの新型車を完成させることになる。それがタトラT603である。ここまでたどり着くのに長い道のりだったが、このように1930年代以降、タトラはチェコという国の事情に翻弄されながらもリアエンジン車の開発に情熱を注いできたのである。
他では見られないRR車。
タトラT603、このリアエンジン車は、当時の世界の乗用車の中でも特異な車と言えるだろう。リアエンジンで後輪駆動という車は当時も多く存在した。フォルクスワーゲンビートルもポルシェもそうであるし、日本の国民車スバル360もそうだ。
しかし、このT603は、他のRR車によく見られるようなコンパクトな車ではない。全長が5m、全幅が1.9mというビッグサイズで流線型。その車体に2500ccのV型8気筒空冷エンジンを載せて突っ走るのである。
普通、空冷エンジンは調整が難しく大排気量のエンジンには向いていないものであるが、タトラは空冷にこだわった。そしてこだわり続けて作り上げたのが、空冷の大排気量エンジンであった。T603はモンテカルロ・ラリーなどいくつかの国際的なレースにも参戦。優秀な成績を収めている。信頼性の高いエンジンである証拠でもある。
ところが、この車は、一般の庶民が乗って楽しむことはできなかった。タトラは、戦前から高級車を製造するメーカーとして名高く、戦前のリアエンジン車も皇帝や大統領などの御用達であった。このT603も、結局乗ることができたのは、共産圏の国々の政府高官や企業の幹部といったお偉方だったのである。
共産圏の国だからこその車でもある。
個性的なルックスの中に、長年の研究、開発の粋を詰め込んだT603。リアエンジン・リアドライブ車の究極の形とも言えるような車に仕上がっていた車だが、利用者が限られていた。これもまた、チェコという国の事情であった。もしも、一般の人々に販売されていたら、誰もがその名を知る名車となっていたのかもしれない。
だが、逆に共産政権下の国の車という事情が、かえってタトラT603の独自性を際立たせたと言えるのではないだろうか。日本が鎖国により独自の文化を発展させたのと似たようなものである。
自由競争下で流行や人々の嗜好を追いながら開発していたのでは、この個性、独自性は生まれなかったかもしれない。西側諸国の車ほどスマートでもカッコよくもないが、この車にはタトラにしかない発想、技が生きており、他には見られない味わいがあるのだ。