ポルシェは、やはりポルシェだった。
街なかを走るポルシェを見つけると、「あっ、ポルシェだ!」と、つい叫んでしまう。ポルシェは目立つ。しかも、ポルシェだとすぐにわかるフォルムを持つ車でもある。これはすごいことである。
ポルシェと言えば、911が有名だが、ここで取り上げたいのはポルシェ356だ。それはポルシェが初めて世に送り出した車。ポルシェという名の付いた初めての車である。
356は、ポルシェ最初の量産車。
ポルシェという企業は、フォルクスワーゲンタイプ1(ビートル)の設計に携わったフェルディナント・ポルシェが1931年に設立した。もともと車両の設計、開発を主な業務としていたが、第二次大戦後、新たに車の製造に着手。その最初がポルシェ356だった。
ポルシェは、戦前の1938年にベルリン・ローマ間のラリー出場をめざし、ポルシェ64とも呼ばれる「ベルリンローマ速度記録車」を製作していた。ラリーは戦争のため行われなかったが、戦後の混乱期の中、早くも1948年にその車をベースにポルシェ356のプロトタイプを製作している。
そして1950年には、量産車としての356がデビューした。この年から生産が終了する1965年まで、毎年新たなモデルを生産。その基本的デザインはほとんど変えずに改良が加えられ続けた。
ポルシェらしさの原型がこの車に。
フォルクスワーゲン・ビートルの設計者が関わっているからだろう。ポルシェ356はビートルとよく似ている。ビートルを平べったくスマートにし、二人乗りにするとこの形になる。
ポルシェ356は、しなやかな曲線のボディ、グラマラスなボディが印象的だが、これ以降のすべてのポルシェ車は、このポルシェ356の持つデザインコンセプトが受け継がれている。
ポルシェの製造する車には、どの車にも一目でわかるポルシェらしさがあるが、そのポルシェらしさの原型が356なのである。
そしてこの車は、戦後の小型スポーツカーの指標的存在ともなった。第二次大戦後、世界中で数多くの小型スポーツカーが開発、製造されたが、どの車もこのポルシェ356を目指したということだ。ポルシェ356は、デビュー当初から強烈な印象を人々に与えた車なのである。
スポーツカーとしてのポルシェ356。
そもそもスポーツカーとは何か。スポーツカーという車の分類は、自動車が誕生した20世紀初頭からあったようだが、スポーツという言葉が示すように、自動車レースと関連があった。実際に当初はレース用の車をスポーツカーと言っていたようである。
次第に自動車の性能が上がってくると、レース用にはより性能を高めた車が使われるようになり、レーシングカーと公道を走る車との違いが明確となった。そこで、公道で走りを楽しむことができ、レースにも使える量産車をスポーツカーと言うようになったのである。
第二次大戦が終わり平和な時代になると、自動車レースに対する一般の関心が高まり、戦争で中止されていたレースも各地で再開されるようになる。スポーツカーとして戦後すぐに登場したポルシェ356もヨーロッパの数々のレースに出場し、入賞を果たしている。
このページの最初に掲げたポルシェ356は、Rallye International des Alpesという名称のアルペンラリー出場車である。それは、オーストリア、ドイツ、イタリア、スイスの山道を走り抜け、タイムを競うというもので、1953年にはポルシェ356が総合優勝している。
ポルシェは鑑賞する車である。
1970年代の後半に日本でスーパーカーブームが起こった。カウンタックを初め、フェラーリやランチアなど数々の車がスーパーカーとしてもてはやされたが、ポルシェも当時のブームを引っ張った車のひとつである。もちろんこの時のポルシェは356の後継車である911であるが、スーパーカーファンはポルシェの走りや美しさに憧れたものである。
ポルシェにはファンが多い。しかも、手に入れたいと考えている人よりも、見て楽しみたいという人が圧倒的に多いだろう。
ポルシェは日常で運転する車というよりは、鑑賞する車である。好きな人にとっては、そのデザインはもちろん、走る姿からエンジン音、排気ガスの匂いまで鑑賞の対象となるのだ。
オタク心に火をつける、ポルシェ356。
その鑑賞する車としてのポルシェの原点が、まさにこのポルシェ356だ。生活もままならない戦後の混乱期に開発を始め、1948年から1965年まで、プロトタイプからプレA、A、B、Cタイプと改良が加えられ、レースでも好成績を残したポルシェ356。その改良の詳細な推移はウィキペディアやポルシェファンのサイトなどに詳しい。
そこには単に車のスペックだけではなく、改良点の年ごとの推移も詳しく公開されている。これはすでにファンと言うよりも、マニアあるいはオタクの仕事である。ポルシェ356という車は、オタク心に火をつける車なのである。
山口百恵の歌「プレイバックPart2」の歌詞に「緑の中を走り抜けてく真紅(まっか)なポルシェ」というのがある。この場合、車はワーゲンやクラウンでは、歌にも絵にもならない。やはり、走り抜けてゆくのは真紅なポルシェでなければならない。
これは、ポルシェという車が美しく、速く、高性能なスポーツカーであるという認識がなければ、きっと出てこなかった歌詞だろう。
ということは、ポルシェがポルシェ356を生み出さなければ、この歌も生まれなかったはずである。