
さすがイタリア。戦後9年でこのスタイル!
スポーツカーの見本のような流麗な車。しかもオープンタイプだ。こんな2人乗りのスポーティなオープンカーをスパイダーとも言うが、この車は、イタリアの自動車メーカーランチアのアウレリアB24スパイダーである。1954年から1955年にかけて製造された。
盾の形のラジエターグリルに八の字型クロームバンパー。パノラミックなフロントガラスと取り外し可能なサイドガラス。しかもボンネットと同じ長さのリアもまた美しい。あるイタリアの自動車デザイナーが「アウレリア B24 を見ると、ただ見るだけでなく、触れたくなる。」と語ったと言うが、その気持ちがわかるデザインでもある。

このリアルスタイルの美しさを見よ!盾の形のグリルや通常のオープンカーではあまりみられないサイドガラスも個性的だ。もちろんこのサイドガラスを取り外し、フルオープンで走ることもできる。
なぜ多い?デザインにこだわるイタリア車。
確かにイタリア車というとアルファロメオやフェラーリ、ランボルギーニなど、デザインに優れた車好きの心をくすぐる名車、高級車が多い。イタリアの高級車メーカーには、やはり車づくりに対する独特な感性があるのだ。ランチアもその一つである。
最も、イタリアにこうした高級車メーカーが多いのには理由がある。イタリアの自動車といえばフィアットが有名だが、フィアットは老舗自動車メーカーで、小型の大衆車から大型車、スポーツカー、商用のトラック、バンまで何でも揃えており、販売力もある。
ゆえに、中小のメーカーは、普通の自動車を売ろうとしても、太刀打ちできない。そこで、高級車なのである。独自のデザイン、メカニズムの高級車でファンの心を掴むという戦法を取らざるを得ないのである。
では、このアウレリア B24を生んだ高級車メーカーであるランチアについて少し語ってみたい。
ランチア、そしてアウレリア。
ランチアは、フィアットのドライバーであり開発部門でも活躍していたヴィンチェンツォ・ランチアが設立したメーカーである。創業は1906年というから、自動車産業の黎明期からあった会社でもある。
ヴィンチェンツォは、創業者でありまた開発者として、自分ならではの車を作りたいという思いがあったのだろう。新たな技術を取り入れるのに積極的であった。モノコックによるボディ製造や空力を考慮して設計された流線型スタイルをはじめ、独自の設計によるエンジンやサスペンションなどを搭載した高級車を製造し人気を得た。

1905年発行の雑誌「オートモビル・トピックス」に載せられた写真である。いかにも車好きのオジサンという感じである。
【not credited., Public domain, via Wikimedia Commons】

ランチアが1922年から1931年まで製造していた車で、乗用車としてはじめてモノコック構造を採用している。写真は1923年式のラムダでドイツミュンヘンの交通博物館分館所蔵のもの。
【MartinHansV, Public domain, via Wikimedia Commons】
そして、第二次世界大戦後の1950年、ヴィンチェンツォの息子であるジャンニ・ランチアの時代にランチア アウレリアが登場する。それは、世界初のV型6気筒エンジンを搭載し、独自のギアシステムを持つ車であった。ランチアにとっては戦後初の車であり、メカニズムはもちろんボディスタイルにも大いにこだわりを見せていた。
50年代の車というと、まだまだズングリしたスタイルが多かったのだが、ランチア アウレリアは、フロントからリアまで流れるラインでデザインされている。しかも、1951年登場の2ドアクーペにはGTつまりグランツーリスモというモデル名が付けられた。GTというモデル名のついた車は今も多く存在するが、この時のアウレリアが世界初であった。
ランチア アウレリアはこの後、モデルチェンジを繰り返し、メカニズムやデザインが洗練されていく。そして1954年に、イタリアのカロッツェリア・ピニンファリーナによってデザインされたランチア アウレリアB24が登場するのである。

1957年製のアウレリアGT2ドアクーペである。ズングリした車の多かった50年代に、ランチアはこんな車を製造、販売していたのだ。
【Lars-Göran Lindgren Sweden, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
やはり特別だった。アウレリアB24。
カロッツェリアとはメーカーの製造する車に独自のデザインを施す業者のことで、英語ではコーチビルダーとも言う。ピニンファリーナは、イタリア最大のカロッツェリアでもあり、フェラーリやマセラティ、アルファロメオなど多くの高級車のデザインを手掛けている。
そのピニンファリーナデザインのアウレリアB24は、1954年末に製造がスタート。1955年1月には、ベルギーのブリュッセルで開催されたモーターショーに出品され大いに話題を呼んだ。それまでのアウレリアより低いボディで、特にリアの美しさは他に類を見ないものであった。
このアウレリア B24は、1954年から1955年にかけて240台製造された特別仕様車でもある。第二次世界大戦後9年でこうした車が製造、販売されるのだから、当時のイタリアの自動車業界は進んでいるというか、遊び心に富んでいたのである。
さらに、1956年から1958年にかけてデザインやメカニズムを少し変えたコンバーチブルB24Sも製造、販売されている。それらは海外、特にアメリカに輸出されたようである。

1955年製のアウレリアB24である。雨のためソフトトップが装着されてはいるが、見よ、この洗練されたスタイリングを。さすが特別仕様車である。
【John Tiffin, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】
経済復興もこれからという時の高級車だった。
アウレリアB24が製造、販売された当時、イタリアは、戦争の影響もあり決して豊かな国ではなかった。1950年代の中盤以降から1960年代にかけてイタリアは経済復興を果たし、奇跡の経済と呼ばれるようになるのだが、その奇跡の経済もまだ堵についたばかりであった。
ゆえに、アウレリアB24のような高級車は、お金持ちかランチア車のファンにしか売ることはできないと思うのだが、ランチアは240台製造して売り出すのだから徹底している。高級車メーカーとしては、国の状況はどうあれランチアらしい車の製造、販売はどうしても行わねばならない、ということだったのだろう。
その頃の日本はと言うと、外車の乗用車が社用やタクシーなどに使われるだけで、街を走るのはもっぱらバスやトラック、オート三輪だったものだ。その時代にランチアは、こんなオープンタイプの特別な乗用車を製造し、売っていたのである。
1962年のイタリア映画「Il Sorpasso(邦題 追い越し野郎)」の予告編である。主人公の乗ったアウレリアB24がローマの街を走りまくる様子が出てくる。この映画は、経済復興の中で変わりつつあったイタリアを描いた映画として人気が高く、イタリアでは今もファンが多い。高級車アウレリアB24を気軽に乗り回す人物が登場するところからも、今は昔のような悠長な時代ではなくなったと訴えているのだろう。
今も高値で取引されている。
アウレリアB24スパイダーが登場してからもう70年ほど経つが、この車の美しさは今も世界の自動車ファンを唸らせている。240台製造されただけであるので希少さも加わるからなのだろう。オークションに度々出品され高値で取引されている。
2014年、修復済みの1955年製B24スパイダーには181万5千ドルの値がついた。今の価値で約241万ドル、日本円で3億7千6百万円だ。また、2023年には倉庫で保管されていた1955年製B24スパイダーが54万ユーロで落札されている。日本円で8千7百万円である。安いと思うなかれこちらは修復前の車である。修復済みならやはり数億円だろう。
ランチア アウレリアB24、この車はやはり、いつの時代も必ず存在する「車のためなら金に糸目はつけない」というファンのための特別仕様車なのである。
美しい南ヨーロッパの景色の中を走る動画である。心地よいエンジン音を響かせながら走るアウレリアB2は、やはり絵になる車である。