
ロンドンの誇り。黒いタクシー。
真っ黒で背の高い車体、フロントウインドウの上にはTAXI表示。ロンドン名物の黒いタクシー、オースチンFX4である。
オースチンは、1905年設立のイギリスの老舗自動車メーカーだ。1952年には、当時のイギリスの大手自動車メーカーの合併により生まれたBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)の傘下となるが、軽快な走りの大衆向け小型車を多く開発。あの名車ミニのメーカーでもある。
そんなイギリスを代表する自動車メーカーが生み出したタクシー専用車が、オースチン FX4だ。実はオースチンは、BMCの傘下となる以前からタクシー専用車を開発している。では、オースチンFX4を語る前に、まずはイギリスのタクシー業の歴史から紐解いてゆこう。

屋根にはTAXI表示、助手席にはFOR HIRE(空車)の表示が見える。助手席にお客は乗せないのがロンドンスタイルだ。

観音開きドアで大きく開けることができ、乗りやすそうだ。また、背が高く、屋根が後部まで続いているので客席も広々としている。
辻馬車から始まったイギリスのタクシー。
イギリスのタクシーの原型はハックニーキャリッジと言われている。これは、道端や決められた場所で客を待つ小型の馬車のことで、客が乗ると目的地まで運んで運賃を請求するというものだった。まさしく現代のタクシーそのものである。
ちなみにハックニーキャリッジは、日本語で辻馬車と訳されている。江戸時代の町人が使った籠を辻駕籠と言うが、そこから来ているようだ。

1877年の写真である。馬車の後ろには認可のプレートも付けられている。
【John Thomson (1837-1921), Public domain, via Wikimedia Commons】
ハックニーキャリッジに関しては17世紀には法律ができ、政府により認可されて営業するものとなった。現代でもハックニーキャリッジとはイギリスにおけるタクシーの正式名称でもある。由緒正しい公共交通機関なのだ。
さて、このハックニーキャリッジ―辻馬車も、20世紀を迎えると馬車ではなく自動車により営業されるようになる。認可を受けての営業であることから、使われる車両にも規格が制定され、自動車メーカーや車体製造メーカーなどにより専用車が生産されるようになる。

1907年に発行されたイギリスの雑誌「Punch」に掲載された漫画である。主人公がお世話になった辻馬車に別れを告げている。この当時、馬車は自動車のタクシーに取って代わられつつあった。「もうあなたの役目は終わったんだよ」というわけである。
【Leonard Raven-Hill, Public domain, via Wikimedia Commons】
1930年代から存在したタクシー専用車。
オースチンでも戦前からタクシー専用車を製造していた。1930年代のタクシーモデルを見ると、まだ辻馬車時代の慣習や伝統が残されていて興味深い。例えば、運転席の隣は助手席ではなく荷物置き場になっていたり、客席は幌の屋根になっていたりと馬車の仕様をまだ残していた。
1930年代と言えば、日本では円タクと呼ばれたタクシーが走り回っていた時代だ。市内なら1円均一でどこにでも行けるということで人気を呼んでいたが、タクシーとして使用する車は通常の乗用車だった。しかしイギリスでは、馬車の名残りを持った専用車両で営業していたのである。

1934年製のオースチン12によるタクシーである。助手席は荷物置き場であり客席は幌の屋根である。馬車時代の伝統がまだ残されている。
【Clive Barker, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
戦後、オースチンはタクシー専用車両としてFX3を1948年に登場させる。まだ助手席を荷物置き場とするなど戦前の形を残しているタイプだったが、ロンドンを走る黒いタクシーとして人々の認知を得るようになっていった。

そしてFX3の10年後、1958年にはFX4が新型として投入される。このタイプは、1997年まで細かなモデルチェンジを加えながらおよそ40年にわたって生産された。ゆえに、ロンドンっ子にとって馴染み深いタクシーはこのオースチンFX4と言えるだろう。
伝統のスタイルを守ってきたFX4。
近頃は日本のタクシーでも背の高い車をよく見かけるようになってきた。主にトヨタのタクシー専用車JPN TAXIが使われているようだ。車椅子から乗車しやすいとか大きな荷物を持ったまま乗車できるといったメリットがあり、いわゆる最近流行のユニバーサルデザイン対応車でもある。
しかし、ロンドンのタクシーは、昔から黒のボディカラーに背の高い車体というこのスタイルを頑なに守ってきた。なぜか。山高帽を被ったまま乗車できるというのがその理由である。つまりあの背の高さは、昔のイギリスの風俗の名残りなのである。
また、FX4を詳しく見るとさらに興味深い特徴がある。客席は通常は一列であるが、運転席の後ろに折りたたみの座席が付いており、それを広げると向かい合わせの席になるようになっている。また、運転席と客席の間にははっきりとした区分があり、運転席の隣の助手席には客は乗せないことになっている。
戦前のロンドンタクシーにはタクシーの原型である馬車の名残りが見られたが、このFX4でもまだそれは生きているのである。
運転席と客席の様子が映された動画。運転席と客席の間には透明パネルがあり、仕切られているのがわかる。客席は広く、くつろげそうだ。
ハックニーキャリッジから始まるロンドンタクシーの歩みとオースチンFX4導入の経緯、改良の歴史などが網羅されている。およそ12分の動画である。
ロンドンのタクシー業の誇りがそこにはある。
イギリスという国には、昔から執事とかメイドといった家の使用人としての職業の伝統がある。家の管理や家事を行うことは誇り高いサービス業でもあった。タクシーも、車を運転し目的地までお客を運ぶというサービス業として、馬車の時代からの伝統があった。しかも時の政府に認可された誇りある職業でもあったのである。
それゆえに当然ではあるが、誇りあるロンドンのタクシー業の車は、他の国では見られないスタイルの黒いタクシー、ハックニーキャリッジという名の辻馬車の伝統を守るタクシーでなければならなかった。
しかも、お客の方も「バスは2階建ての赤であり、タクシーは背の高い黒に決まっている。それがロンドンという街だ。」そんな誇りというか信念を持って利用していたのだ。ロンドンという街は本当に面白い。
オースチンFX4は、1997年まで使用され、現在では別の車種が使われている。また最近では電気自動車も使われているようだ。だが、背が高く、黒いというロンドンタクシーとしてのスタイルは今も頑なに守られている。
FX3の時代だが、当時のロンドンタクシーの状況がよくわかる動画である。渋滞の中でもいかに早く乗客を目的地まで届けるか、そんな運転手のプロ意識がロンドンタクシーを支えている。早回しの撮影もご愛嬌である。