フォードA型

フォード A型
フォード A型 1928年

“心機一転”の、モデルA。

とてもスタンダードなイメージ。よく見るタイプのクラシック・カーである。運転もしやすそうだ。これはフォードのモデルA、つまりA型である。初期のフォードと言えば出てくるあのフォードT型の後継車として作られた車だ。1927年に登場し、1932年に生産終了するまで合計486万台も生産された。

T型同様であり、T型とは大きく違う。

スタイルもセダン、クーペ、コンバーチブル、ステーションワゴン、トラックなどさまざまなタイプを揃えており、価格も385ドルから1400ドルまで、現在の日本円にすると100万円から最高380万円ぐらいの価格幅があった。

A型の前身であるT型は、庶民にも手に入れやすい価格で販売し大ヒットした車である。後継であるA型も、T型同様手に入れやすい車だったのである。

A型を横から見たところ
フォードA型のスタイル①
写真はスタンダードクーペである。二人乗りで屋根付きのキャビンがある。
A型を後ろから見たところ
フォードA型のスタイル②
後ろから見たA型。それまでの幌付きの車とは異なり、曲線を生かしたデザインになっている。トランクも使いやすそうである。

しかし、T型とは大きく異なるところもあった。それは、ブレーキやアクセル、クラッチなどの操作が、他のメーカーの車と同じ方式を採用したという点である。

それまでのフォード車は、運転方法が独特だったのだ。この車がとてもスタンダードなイメージを持つのは、こんな点からも来ていると言えるかもしれない。いずれにしてもフォードからすれば、全く新たな車だった。

Tに続いてなぜAなのか。その理由は?

フォードは、T型の後継をなぜA型としたのだろうか。もともとA型とは、フォードが1903年に最初に作った車のことであった。もちろん最初の車であるから、今語っているA型とは全く違う車である。フォードはA型からスタートし、B、Cと作り続け、T型で大成功を収めたのである。

しかしフォードは、T型の後継をU型とはせずに敢えてA型とした。それには“最初からやり直し”という意味があった。これまでとは異なる全く新たなフォード車としたかったのである。

初期のフォードA型の広告
最初のフォードA型
1903年にフォードが最初に販売したA型の広告である。20世紀初頭の車であり、まだ馬のない馬車というイメージであった。
none, Public domain, via Wikimedia Commons】
フォードT型の広告写真
フォードT型
1910年製のT型。当時、広告用として撮影された写真である。この車が売れに売れた。
Harry Shipler, Public domain, via Wikimedia Commons】

売れすぎが生んだ弊害からの脱却を目指す。

1999年12月に発表された「20世紀で最も影響力のあった自動車」、その1位に輝いた車がフォードT型である。大量生産方式で製造され、一般庶民が購入し運転することのできる始めての自動車だったのだから、それは当然の結果と言えるだろう。

実際にT型は売れに売れ、年間に100万〜200万台も生産された。最盛期にはアメリカで生産される自動車の半分以上がT型だったと言われている。

しかしその売れすぎが、弊害を生むことにもなった。1920年代の中盤を過ぎると、フォードの競合他社もフォードに倣って車の大量生産を始めていた。しかも、フォードT型より馬力のあるエンジンを持ち、運転しやすく、スタイルもよい車を次々と市場に送り込んでいたのである。

それによって、フォードT型の牙城は競合他社の新型に崩されつつあった。ところが、T型を成功させたヘンリー・フォードは、自分の開発した車にいつまでも固執していた。

例えば、すでに競合他社の車では標準装備であったセルモーターによるエンジン始動も、ヘンリー・フォードに言わせれば贅沢な装備であったし、車の良さは、スタイルやデザインではなく機能だとして、T型のデザインを変えようとはしなかったのである。

ヘンリー・フォードとT型
ヘンリー・フォードとT型
ニューヨーク州バッファローで1921年に撮影された写真。最新のT型とともに写っている。最新ではあっても、当時のT型はもう古臭いイメージになっていたようだ。なお、ヘンリーは、この頃は社長の座を息子のエドセル・フォードに譲っていた。
New York, Public domain, via Wikimedia Commons】

ヘンリー・フォードは、大成功を収めた企業の創業者にはよく見られるタイプと言える。しかし、こうした頑固さがT型を時代遅れの車にしてしまっていたのである。

実は、彼は1918年にすでに社長の椅子を息子のエドセル・フォードに譲っていたのだが、社内ではあいかわらず強い意見を持ち、最終決定権さえ持っていた。そんなフォードの社内体制が弊害を産んでいたのである。

そこでエドセル・フォードは、ヘンリー・フォードに他社の車のような人々の求める車を投入することを訴え、なんとか新型車の製造、販売にこぎつける。“最初からやり直し”の意味を込めた新たなA型の登場である。

フォードは、総合自動車メーカーへ。

結局、このフォードA型は、人々に受け入れられ、生産終了まで500万台近くも製造される。そしてこれ以後、フォードも他社に倣って毎年モデルチェンジを行い、顧客の関心を惹きつける販売戦略を展開するようになった。また、1930年代からはヘンリー・フォードが嫌っていたローンによる車の販売も行うようになる。

そしてフォードは、この後V8エンジンを搭載した車をヒットさせ、一般向けだけでなく高級車や中級車もラインアップに加えるなど、自動車製造販売工場から近代的な総合自動車メーカーへと成長していくのである。

まさにその成長のきっかけとなったのがフォードA型の製造、販売だったわけだ。

A型と少年たちの写真
フォードA型と少年たち
撮影場所は定かではないが20年代に撮られたスナップ写真である。自分の家の新しいフォードなのだろうか。少年たちの顔は誇らしげである。
National Photo Company Collection, Public domain, via Wikimedia Commons】
フォードA型のセダンタイプ
A型セダンタイプ
1931年製の2ドアデラックスセダンである。4人乗りの高級車だ。
Rickblack at English Wikipedia, Public domain, via Wikimedia Commons】
フォードA型バイヤーズガイド
A型を購入する際にチェックしたいことをまとめた動画。途中から公道を走る姿を見ることができる。フォードA型は比較的手に入れやすい車だそうで、紹介している車もしっかりレストアされている。それにしてもアメリカでは100年前の車でも手に入れやすいのがあるというのだから驚きである。

現役引退後も活躍したフォードA。

さて、1930年代後半から1960年代のはじめにかけて、フォードの車は、普通の自家用車とは別な形で人々に愛されるようになる。それはホットロッド車としての活躍である。

ホットロッドとは、車の改造とレースを楽しむアメリカのライフスタイルと言えるが、そんなアメリカならではのホビーに、フォードA型やT型が大いに用いられたのだ。

全米ホットロッド協会が設立されたのは1951年。50年代から60年代にかけてはホットロッドの最盛期でもあるが、その時代にホットロッドを楽しんでいた若者たちにとっては、フォードA型は20〜30年前の車だ。彼らは、自分の親の世代が乗っていた中古のフォードA 型を手に入れ、エンジンを載せ替え、ペイントし、パーツを取り付けて街へと繰り出したのである。

ホットロッドの玩具
ホットロッドのブリキ玩具
1960年代のものである。当時ホットロッドは全盛期であり、子供のおもちゃにも影響を与えていた。なお、このブリキの玩具はmade in Japanで、アメリカ向けに作られたものである。
lord enfield, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
フォードA型のホットロッド
1930年型のA型を改造したホットロッドの動画である。心地よいエンジン音をあげて走ってゆくA型が映されている。youtubeにはこうした動画が多くあげられている。

フォードT型は20世紀に最も影響力のあった自動車だったが、フォードA型はまさにアメリカの親と子の世代で愛用された車となったのだ。心機一転の気持ちで作ったA型がこれほど愛されたということは、フォードにとってまさに自動車屋冥利に尽きるということではないだろうか。