戦争の時代を生きた、流線型の車。
フロントグリルがゆるやかにカーブし、フェンダー内にランプが収まったスマートデザイン。イタリア車フィアット1500である。作られたのは1935年だが、第二次世界大戦後の1950年まで作られていた。なお、60年代にもフィアット1500が存在するが、それは別の車である。
写真の車で特に目立つのはリアに積んでいる装置だ。スペアタイヤとともにタンクのようなものを積んでいるが、これは何か。ジェットエンジンを吹かしてぶっ飛ばそうとでもいうのだろうか。
空気抵抗を減らす流線型スタイル。
この装置について明かす前に、まずはフィアット1500がどんな自動車かを語ってゆこう。この車は、当時流行していた流線型のスタイリングを取り入れた車である。
流線型とは、高速を出すことを目的に空気抵抗を減らした形状のことだが、この車のスマートさは、そこから来ているのである。フロントグリルがフェンダーと同じ角度でカーブしているフィアット1500のデザインは、なるほど速そうだ。
1930年代には、高速を出すために流線型を取り入れる鉄道車両が流行した。各国で機関車や電車を流線型にして速さを競ったものである。アメリカの20世紀特急や南満州鉄道の特急あじあなどがよく知られている。
この時期、鉄道同様に自動車の世界でも流線型をスタイリングに取り入れる試みが行われ、1934年には、世界で初めて風洞実験による流線型車体、アメリカのクライスラーエアフローが登場する。
フィアット1500も、クライスラーエアフローと同じように風洞実験により生まれた車である。エアフローに遅れること1年の1935年に発表され、販売された。ヨーロッパ車で初めての本格流線型スタイルであった。実際に当時の車の中では空力効率が高かったようだ。最高速度は時速115kmを出したと記録されている。
ヒットはしたが・・・時代が悪かった。
風洞実験から生まれた新しい流線型自動車は売れたのだろうか。クライスラーエアフローは、空力効率は良いもののそれまでの自動車とは大きく異なるスタイルのためか、商業的には失敗する。売れなかったのである。
しかし、フィアット1500は見た目も美しく、大きさも手頃であるためかヒットする。流線型スタイルで売れた初めての車となるのである。そして1939年、フィアットは、1500の改良版1500Bを発表している。主な改良点はブレーキだったようだが、スピードが出やすい流線型の安全性を考慮したのかもしれない。
ところがこの頃、フィアット1500もせっかくの流線型スタイルを十分に活かすことはできなくなってしまう。時代が悪かったのである。
1500Bが登場した1939年の9月、ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発する。イタリアはドイツ、日本とともに枢軸国として連合国側と戦うこととなった。そうした事態となると国内体制は戦争遂行が第一となる。流線型のスマートな車に乗ってドライブを楽しむというわけには行かなくなるのである。
しかも、ドライブどころか車を動かすことさえできない。石油を輸入に頼っている国では、貴重なガソリンは飛行機や戦車が優先で、一般庶民は簡単に手に入れることはできなくなったのである。
「この非常時にガソリンを消費する自家用車に乗っている人間は非国民だ!」と、イタリアで言ったかどうかは知らないが、以前のように自由にガソリンが手に入る時代では無くなってしまったのだ。
ガソリン不足に対応した木炭ガス。
そこで登場するのが、このフィアット 1500の後部に付けられている装置である。これは、木炭ガス発生装置で、タンクに見えるものは木炭を燃やすボイラーだ。
ここで木炭を燃やし、発生した一酸化炭素などの可燃性ガスをエンジンのキャブレターに送って車を走らせるという仕掛けになっている。
この仕掛けは、第二次世界大戦中は各国で代用燃料として推奨され、利用されていた。木炭ガス発生装置を取り付け、既存のガソリンエンジンに発生したガスを導くだけだから、改造は比較的簡単である。日本でも多くの路線バスが木炭バスに改造されて街なかを走っていた。懐かしく思い出す人もまだいるかもしれない。
ところが、この木炭ガスはガソリンと比べて極端に力が出ない。日本では、木炭バスが登り坂になると動かなくなり、乗客たちが降りてバスの後ろを押すという光景がよく見られたらしい。
このフィアット1500も同様だったと思われる。走るのが精一杯で、スピードを出して走るなんてことはできなかっただろう。戦争であるからしょうがないと言えばそれまでだが、風洞実験までして作り上げたスマートな流線型が活かされないことになってしまったのである。
流線型から普通のスタイルへ。
そして1940年には、改良版のフィアット1500Cが登場するが、フロントのデザインが大きく変わる。昔の車のデザインが採用され、フロントグリルは高く、直立することになる。なめらかな流線型ではなくなってしまうのである。思い切りスピードを出せるわけではないのだから、昔のままでいいということになったのだろうか。
結局、フィアット1500は、戦争終結後の1950年まで生産され続けた。その間1500D、Eと新たなモデルが投入され、内部のメカニズムやボディ形状には改良がさらに加えられた。しかし、フロントのデザインは1500C以降変えられることはなかった。
風洞実験まで行って生み出した空気抵抗を減らしたスタイルも、時代の流れには抵抗できなかったのである。