シトロエン ダラット

シトロエン ダラット
シトロエン ダラット 1970年

ベースはフランス、スタイルはベトナム。

ジープやランドローバーを思わせるスタイル。この車、オフロード用の四輪駆動車なのだろうか。いや、そうではない。フランスの自動車メーカーシトロエンの2CVをベースにした多目的車で、名前をダラットと言う。しかも、製造、販売されていたのはフランスではなくベトナムだ。

シトロエン ダラットは、南ベトナムにあるシトロエンの子会社サイゴン自動車会社が1970年から75年にかけて製造、販売していた。1970年といえばベトナムは戦争中である。60年代の半ばにアメリカが本格的に軍事介入し、戦争が激しさを増していた時代でもある。

なぜシトロエンがベトナムで車を?

なぜフランスの自動車会社シトロエンが、東南アジアのベトナムで車を売っていたのだろうか。それはベトナムがかつてはフランスの植民地だったからである。

現在のベトナムがある地域は、19世紀の終わりにフランスの占領下となり、フランス領インドシナと呼ばれていた。シトロエンは1936年にそのフランス領インドシナに子会社を設立し、自動車の製造、販売を行っていた。

第二次世界大戦後、ベトナムはフランスの領土ではなくなるが、今度は北と南に分かれて戦うという不安定な国情となる。その中でシトロエンの子会社は、サイゴン自動車会社という名前となり、車の製造、販売を続けたのである。そして1970年にダラットが登場する。

フランス植民地時代のハノイの写真
フランス植民地時代のハノイ
1931年の写真。大きな建物と整備された道が写っている。よく見ると自動車が停まっているが、既に多くの自動車がヨーロッパから入ってきていたのだろう。
Maurice Lambert (1910 – 2004), titulaire du droit moral des photographies, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
シトロエン2CV
ベトナム人の富豪が持っていた車
1970年代まで生きたベトナムの大富豪チャン・チン・フイの愛車。シトロエン2CVである。やはりシトロエン車は、ベトナムの自動車の歴史とは大きな関わりがある。
TuanUt, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

名車2CVがベースのシトロエン ダラット。

さて、このシトロエン ダラットとはどんな車か。最初にシトロエン2CVをベースにしたと書いたが、2CVといえばあの個性あふれるフランスの国民車だ。その2CVの前輪駆動システムの上に独自のボディを乗せるというシンプルな作りの車となっている。

では、シトロエンはなぜダラットをジープのようなスタイルの多目的車としたのだろうか。実は、2CVのコンセプトを受け継いだジープのような車が、ダラット以前にも存在している。それは、2CVの後継車の一つとして1968年にフランス本国で販売されたシトロエン メアリという車である。

第二次世界大戦後すぐに出された2CVには、もともと農家のための車というコンセプトがあった。農作物の運搬などに便利な車としたのだ。その作業のための車という役割に注目して開発されたのがシトロエン メアリである。

メアリのスタイルは、オープンボディにシートとフロントウィンドウを付けただけのシンプルさ。まさにジープスタイルであった。実際に農業や漁業などの作業用として、さらにはレジャー用として大いに活用されたようだ。

シトロエン2CVの展示
シトロエン2CV
1960年の写真である。展示会で撮られたものだろうか。発売後10年以上経っていたが人気の車であった。
See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons】
シトロエン メアリ
シトロエン メアリ
2CVの後継車のひとつとして作られた多目的車。シャーシの上にABS樹脂製のボディを乗せた頑丈な作りで、ジープのようなオープンスタイルであった。
Magnus Gertkemper, CC BY-SA 2.0 DE, via Wikimedia Commons】

西アフリカの多目的車ベイビーブルス。

そして、もう一つ関係があるのは、シトロエン2CVをベースにして作られた多目的車ベイビーブルスという車である。この車は西アフリカのコートジボワールで1963年から1978年にかけて製造されたもので、2CVのシステムの上に金属や木材などで作られたボディを取り付けた車であった。これもまたシトロエンメアリのようなジープスタイルであった。

だが、メアリとは異なり、このベイビーブルスがジープスタイルになったのは、その形がコートジボワールという土地にとっては最適であったという理由がある。まず、コートジボワールには、車のボディを金属板からプレス成形するような機械を持つ工場が無い。従って、金属の板を切って折り曲げ、単純に合わせるだけのボディしかできず、ジープのようなボディが作りやすかったのである。

シトロエン ヤガン
シトロエン ヤガン
ベイビーブルスタイプの車の一つヤガンである。この車は南米のチリで1970年代に製造されたものだ。職人が鋼板を叩いて製造したという車だという特徴がよくわかる。
Qwerty242, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

また、コートジボワールも元はフランス領で、ベイビーブルスが登場した頃は独立したばかりの国であった。従って悪路が多い。もちろん普通の舗装路はあっただろうが、圧倒的に未舗装だったと思われる。そうなってくると、ジープスタイルが一番ということになる。

実際、ベイビーブルスは3万台以上製造、販売されたそうである。ヒットしたのである。さらに、2CVをベースにしたこのタイプの車はコートジボワールだけでなく、チリ、ギリシャ、インドネシア、イランなど世界各国で作られるようになっていった。そして、ベトナムでは、シトロエン ダラットが作られたのだ。

地元で製造でき、修理も簡単。

ダラットは、フランスから輸入した2CVのエンジンやトランスミッション、サスペンション、ブレーキなどに、地元で製造した金属製のボディや布製の幌、シート、ライトなどを組み合わせて作り上げられている。もちろんボディは丸みを帯びたところがない。職人が鋼板を折り曲げて作っているからだ。

このジープのようなデザインはお世辞にもカッコがいいとは言い難いが、どこか味があることは確かだ。特にフロントのライトとラジエターグリルが作る顔の形が微妙である。

シトロエン ダラットのスタイル
ダラットのスタイル
職人が作る角張ったスタイルが特徴だ。正面の顔がアニメのキャラクターのようでカワイイ。また、後部の窓が広く取ってあり開放感がある。

しかしこの車、簡単な作りであるので、車体が軽くて低燃費であった。さらに、特別な製造機械が不要で、平均的な技能の職人であれば製造ができるため、壊れても修理や部品交換が簡単というメリットもあった。

また、当時はダラットに追い風も吹いていた。ダラットが生まれる前年の1969年、南ベトナムの経済は不況に陥り、政府は自動車の輸入禁止令を出していた。それによって、ベトナム国内で製造する車が大いに求められるという状況になっていたのである。

シトロエン ダラットの広告
ダラットの広告
サイゴン自動車会社が出した広告。「あなたにプレゼントする新しい3CV ラ・ダラット」と書かれている。おもちゃの車のように見えるが、これぞサイゴン自動車会社の新車なのである。
La Dalat, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

ダラットとはリゾート地の名前だったが。

因みにこの車の名のダラットとは、ベトナム南部にある高原リゾートの名前である。そこにはフランスの植民地時代の建物も多く残っている。シトロエンとしては、ダラットにメアリのようなレジャー用多目的車のイメージも付けたかったのかもしれない。

しかし、1975年にサイゴンが陥落し、南北ベトナムが統一されると、シトロエンの子会社サイゴン自動車会社は工場を閉鎖。シトロエン ダラットの製造も中止される。結局この車は、1970年から1975年までの間5000台ほど製造されたようだ。ベトナムの国情の変化とともに開発、製造され、消えていった車となったのである。

https://youtu.be/Kcia5vuj958
ダラットの紹介動画
1970年代撮影とおぼしきフィルムによりダラットが街を走る様子を紹介している。フランス領時代のエクストリーム・オリエント自動車協会やダラット製造の様子なども入っており興味深い。なお、ベトナムのクラシックカーの愛好家が、現在でも走るダラットを所有しているそうである。