メルセデスベンツ 300SL

メルセデスベンツ300SL
メルセデスベンツ 300SL 1951年

その翼は、走りの追求から生まれた。

鈍い銀色に輝くアルミボディが美しい。ふくよかで丸みを帯びたデザインがセクシーなレーシングカー、メルセデスベンツ300SLだ。フロントグリルの真ん中にはベンツの象徴スリーポインテッドスターが鎮座している。ベンツ車のお約束でもある。

開発されたのは1951年。1952年に行われるカーレースに備えての車だった。3000cc直列6気筒エンジンが搭載されていた。

この車300SLが出場したカーレースだが、スピードを競うものではない。走り続けるレース、耐久レースである。有名なル・マン24時間耐久レースやメキシコで行われたカレラ・パナメリカーナ・メヒコなどにこの車は出場している。

メルセデスベンツ300SLのスタイル
メルセデスベンツ 300SLのスタイル
シンプルでなだらかな曲線を生かしたスタイル。とくにリアのふくよかな丸みが美しい。そして、何といっても個性的なのが左右のドアである。

耐久レースで勝つための車だった。

上の写真は、1952年に開催されたル・マン24時間耐久レースに出場した車である。ル・マン24時間レースといえば、1923年から行われている歴史あるレースだ。ベンツ300SLは、1952年開催のこのレースに初参加し、3700キロを平均時速156キロで走って優勝したのである。

1952年開催のル・マン24時間は、第二次世界大戦が終わり1949年に再開してから4回目のレースであった。歴史あるレースに参加する自動車メーカーには、自社の車の性能や開発技術をアピールするという大きな目的があるものだ。ベンツにも当然、レース参加にあたり戦後の世界に向けて自社の車の優位性を訴えたいという思いがあったことだろう。

ベンツがこのレースで勝つために着目したのは、ボディの性能であった。耐久レースに必要なのは、単に速さではなく、スピードを維持しながら走り続けることだ。ベンツは、走り続けるために軽く、強いボディをこの車に与えたのである。

実際のメルセデスベンツ300SLの写真
300SLの実車
1952年のル・マン24時間レースに出場した実際の車。ゼッケン21は、優勝したヘルマン・ランク、フリッツ・リース組の300SLだ。なお、写真は2023年にロンドンのハンプトンコート宮殿で行われたコンクール・デレガンス(旧車の展示会)で撮影されたものである。
MrWalkr, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

超軽量車体のための工夫が生んだもの。

300SLのSLとはドイツ語のsuper-leichtの略で、超軽量を意味している。300SLは、鋼管を組み合わせて骨組みを作るフレーム構造で強度と軽量化を実現。ボディの軽さによってエンジンの出力不足を補い、その強度により24時間レースを好タイムで走りきることができたのである。

ところがこのフレーム構造によって、通常のドアは設置できず、上に開いて乗り込むドアを取り付けることになった。いわゆるガルウィングドア、かもめの翼のように開くドアの誕生である。しかも、ドアの位置が高く、乗り降りしにくかった。レース用の車なのであるから多少の不便は気にしなかったのだろうが・・・。

しかし、いざレースに出場するとこのガルウィングに物言いがついた。だが、チームの監督が「ドアが横開きになっていなければいけない」という規定はどこにもないと駄々をこね、レースの出場が認められたという話が伝わっている。やはりこのガルウィングドア、当時はとても珍しく、奇異に見えたようである。

300SLの車体の骨組み
300SLのフレーム構造
これによって軽く、強い車体を実現した。よく見ると、ドアの部分には鋼管が通っている。そのため、普通のドアは付けられなかった。
Thesupermat, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
ガルウィングドアを開けた300SL
ガルウィングドア
カレラ・パナメリカーナ・メヒコに出場した300SLである。運転席側のドアが開いている。上に開いたドアがかもめの翼のように見えたのでこの名がついた。
Thomas Vogt from Paderborn, Deutschland, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

レーシングカーから市販車へ。

1952年、ベンツ300SLはル・マン24時間だけではなくメキシコで行われたカレラ・パナメリカーナ・メヒコにも出場する。カレラ・パナメリカーナ・メヒコとは、メキシコ国内の約3000キロのルートを5日間で走るというもので、直線コースあり山道ありの過酷な耐久レースであった。300SLは、途中トラブルに見舞われながらも走りきり、優勝する。

そのレースでの活躍がアメリカのスポーツカーファンたちを刺激し、ベンツ300SLは、新たな展開を迎えることになる。このレース用の車を一般向けに売り出そうということになったのである。

1952年のカレラ・パナメリカーナ・メヒコでのスナップ
カレラ・パナメリカーナ・メヒコで優勝した300SL
300SLはこのレースで、フロントガラスに鳥がぶつかり壊れるというトラブルに見舞われたが優勝する。写真の車にはフロントガラスに防御柵が付けられているが、そのトラブルでガラスを付け直した際に一緒に設置したものである。なお、車の前の人物はドライバーのH.クレンクとK.クリング。
La Carrera Panamericana, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

そんな市販車の話を持ちかけてきたのは、ニューヨークで高級車の輸入を行っていたアメリカのディーラーであった。ディーラーにはアメリカで売れるという自信があったのだろう。1000台注文するという条件をつけて、300SLの市販車の製造を打診してきたのである。

そこで、もともとレース用に製造した車であったのだが、ベンツは300SL市販車の製造を決断。1954年のニューヨーク国際オートショーで一般向けの300SLがデビューする。

ガルウィングドアが、注目の的に。

国際的な耐久レースで勝ち抜いたメルセデスベンツのスポーツカーということで、大いにファンの注目を浴びただろうことは想像できるが、やはり人目を引いたのはガルウィングドアであろう。ドアを開けるといきなり上に跳ね上がるのであるから、見物客の度肝を抜いたことは間違いない。

これぞ未来の車という感じであるが、当時のアメリカ車は、テールフィンや派手なバンパーなど目立つスタイリングが流行していた。その点、ガルウィングは目立つこと間違い無しのスタイルである。

しかし、ドアの切れ込みの高さは市販車でも変わらなかったため、基本的に乗り降りはしにくいままであった。跨いで車に乗り込まなければならなかったため、スカート姿の女性は乗りにくかったことだろう。

ニューヨークの国際オートショー会場の写真
市販車としてデビューした300SL
ニューヨークで開かれたオートショーの一コマ。ガルウィングこそ開いていないが、300SLは、メルセデスベンツのブースの主役であったことがわかる。
Daimler AG, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
市販車の300SL ガルウィングを開いている
300SLの実車
レース用であった300SLとはフロント周りのデザインが異なる。また前後輪のフェンダーに太めのラインが入り、デザインポイントになっている。しかし、ガルウィングとドアの切れ込みの高さはレース車と変わらない。
Alexander Migl, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

さらに、窓の開閉も基本的にできなかった。三角窓は開いたようだが、当時は乗用車にエアコンをつけることも一般的ではなかったので、夏のドライブは相当暑かっただろう。今の日本の夏だったら命に関わることにもなる。

でも、スポーツカーなのであるから性能やスタイル優先だ。目立つことが大好きなスポーツカーファンは、暑くても涼しい顔で乗る。それがベンツ300SLなのである。

結局、この車300SLは、その性能や先進性、ガルウィングドアという独特なスタイルによってメルセデス・ベンツのスポーツカーを代表する車となった。確かに、戦後10年たっていない時期にこのような車が売り出されたということ事態、驚嘆に値すると言えるだろう。

300SLとSLS AMGが2台並んだ写真 両車ともガルウィングドアを開いている
ガルウィング揃い踏み
右は300SL、左は2009年から14年まで製造されていたベンツのスーパーカーSLS AMGである。生まれてから70年も経つ300SLが、21世紀の車と引けを取らないのだからいかに優れたスタイルであるかがわかる。
M 93, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons】

日本での300SLと言えば、あの人。

300SLに関しては、1950年代半ばから60年代にかけて、つまり昭和30年代に青春時代を過ごした日本人には思い入れのあるスポーツカーではないだろうか。俳優、石原裕次郎の愛車として有名なのである。いまは閉館しているが小樽にあった石原裕次郎記念館には実際に300SLが展示してあった。

さらに、プロレスラーの力道山や俳優の夏木陽介も乗っていたようだ。なんと、裕次郎に力道山に夏木陽介である。昭和の高度成長期を象徴する芸能人の揃い踏みである。芸能人は人気商売であるがゆえに注目されなければならない。そこでベンツのスポーツカー、いやガルウィングなのである。

レースに勝つために生まれたガルウィングの車300SLが、日本では有名人という人生の勝者を象徴する車となったというのだから面白い。こんな車は他にない。

石原裕次郎記念館の動画
十勝毎日新聞が制作した動画である。最初はTVドラマ「西部警察」で使われた車が紹介されるが、開始1分過ぎに石原裕次郎が実際に乗っていた300SLが登場する。ナンバープレートの3ナンバーが一桁であるところなどは、やはり時代を感じさせる。
300SLの動画
メルセデス ベンツの日本のディーラーであるシュテルン世田谷が制作した動画である。300SLのオーナーを取材し、車の紹介や走行時の車内動画などを収録。やはり300SLは、裕次郎の愛車だったからか日本人のオーナーがよく動画に登場する。