ボクスホール クレスタ

ボクスホール クレスタ 1957年

女王陛下のステーションワゴン。

大きめのラジエターグリルに、存在を主張するフロントライト。フロントガラスも広く、側面まで回り込むラップアラウンド・ウィンドウになっている。そして、極め付きは車体後部のテールフィンだ。

1950〜60年代のアメリカ車に見えるこの車。実はイギリスの自動車メーカーボクスホールのクレスタである。イギリス車なのだ。1957年から1962年まで製造、販売されていた。

しかもこの車、セダンではない。後部にまでルーフを伸ばしたエステート、つまりステーションワゴンである。しかし、このデザインはどうだ。セダンの側面ウィンドウの形をそのまま残して、ルーフを伸ばした個性的なスタイルになっている。

ボクスホールクレスタのスタイル
ボクスホール クレスタのスタイル
車の後部にまでルーフを伸ばしたエステート、つまりステーションワゴンである。セダンの側面ウィンドウの形を残し後部にまでルーフを伸ばすというデザインが粋だ。しかも、車体後部のアクセントであるテールフィンが50~60年代感を醸し出している。

これは、フリアリーエステートと言い、コーチビルダーのフリアリー・モータースが改装したものだが、標準のクレスタ ステーションワゴンとして販売していた。なお、コーチビルダーとは、自動車のボディの改装業者のことだ。

ボクスホールとは、どんなメーカー?

では、なぜこんな派手な、アメ車のような車がイギリスで製造され販売されていたのだろうか。一体どんな人たちが運転していたのだろうか。その前にまずは、この車クレスタを開発、製造したイギリスのメーカー、ボクスホールから語っていこう。

ボクスホールは19世紀の半ばにイギリスのロンドンで創業した機械メーカーである。最初は船の蒸気機関やポンプなどを製造していたが、20世紀になり、新たな乗り物として注目されていたガソリン自動車の製造を始めるようになる。

1903年には早くも1000ccの小型車を開発し、自動車業界に参入。1910年代には高性能エンジンの中型車を発売し、各地のレースでも優秀な成績を収めて信頼性のあるメーカーとしての地位を築くのである。

ボクスホールの1000cc車の写真
ボクスホールの最初の車
1903年にデビューした1000ccの小型車のスナップ。1931年にロンドンで行われたイベントのパレードで撮影されたものだ。後ろを走るのは当時のボクスホールの最新型である。
Bundesarchiv, Bild 102-12207 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons】
ボクスホールAタイプの写真
ボクスホールAタイプ
レースで優秀な成績を収めたAタイプの市販車として製造、販売された。1912年製の中型車である。貴婦人を思わせる優雅なイメージだが、軽量で高性能なエンジンが積まれていた。
Clive Barker from Selsey, West Sussex, U.K., CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】

ところが、第一次大戦が終わるとイギリスの自動車市場には外国企業が参入して来るようになり、ボクスホールは経営不振に陥る。そして、1925年にはアメリカのGM(ゼネラルモーターズ)に買収され、その傘下となる。

こうしてボクスホールは、GMというアメリカ資本の自動車メーカーとなったわけだが、アメリカ車そのものをイギリスで製造、販売するのではなく、イギリスの消費者の好みに合わせた独自の車の開発、製造を続けていた。イギリス車メーカーとしての誇りもあったのだろうが、アメリカの車そのままでは売れないということがわかっていたのだ。

戦後型のボクスホール車は、アメリカン。

1940年代の半ば、第二次世界大戦が終わり自動車の生産が再開されると、ボクスホールも戦後型の車を送り出すようになる。その戦後型の車にヴェロックスがある。戦前の車とは一線を画す設計、デザインの車であった。クレスタは、そのヴェロックスの高級バージョンとして製造、販売された。

初代クレスタは、1954年に生産が開始された。2.3リットルの直列6気筒エンジンを搭載し、装備も充実。内装や車体のカラーリングも選択できるなど、まさに高級車であった。そして1957年に登場した二代目クレスタが、このページで取り上げている車である。ボクスホールが戦後に出した車の中では最も有名な、つまり話題となった車でもある。

ところが、二代目クレスタが話題を呼んだのは、高級車だからというよりもアメリカ車的スタイルの方にあったようだ。ボクスホールは、GM傘下のメーカーでありながらイギリス人に合った車を開発してきたのだが、このクレスタは、大いにアメリカ車のイメージを取り入れていたのである。

しかも、このページで取り上げているようなエステート、つまりステーションワゴンとなると、ますますアメリカ的でもある。

ボクスホールクレスタの実車の写真
ボクスホール クレスタ
赤と白のツートンカラーが眩しい。1961年モデルのクレスタである。側面にまで回り込むフロントウィンドウや鮮やかなカラー使いがアメリカ車的イメージだ。
Mick from Northamptonshire, England, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
クレスタのモノクローム広告
クレスタの広告
1959年の広告である。キャッチフレーズは、「みんな、ボクスホールで運転がうまくなる!」。視界の広いフロントガラスや優れたブレーキ、サスペンションなどを訴えて、安全性の高さを強調している。イラストのタッチのアメリカっぽさも面白い。
Andrew Bone from Weymouth, England, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

50年代から60年代にかけては世界的にアメリカ車のスタイルが流行していたという事実もある。確かに50年代のアメリカは、豊かで、国力もあり、世界の流行の先端・・・というか人々が夢見る暮らしの形を実現している国であった。そんな国の人々が乗り回す車を世界中の人が欲しがったのである。

GMの傘下にあるアメリカ資本の自動車メーカー、ボクスホールとしては、やっぱりこの時期はアメリカ的なスタイルでいこうとなったのだろう。

クレスタは、このように当時流行のスタイルを持つ高級車だったわけである。しかし、アメリカ車のようなこの車は、高級車であっても、保守的な考えを持つイギリスの上流階級には受け入れられないと思われていた。

ボクスホールクレスタエステートの実車の写真
ボクスホール クレスタ エステート
このページで取り上げているエステート(ステーションワゴン)の実車である。後部の形が独特なのがよくわかる。写真は、2009年のクラシックカーイベントで撮影されたもの。
111 Emergency from New Zealand, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

アメ車のようなイギリス車を受け入れた人物とは。

ところがである。車の流行や好みというのはわからないもので、なんとこの車、当時のイギリスの女王、エリザベス2世が私的に使う車となる。上流も上流、イギリス社会の頂点に立つ人物の愛車となったのである。

エリザベス女王は、第二次世界大戦中、志願してイギリス陸軍で車両整備や軍用トラックの運転を行っていた。そのため、自動車を自ら運転することが好きで、プライベートで使用する車も多かった。ランドローバーやジャガー、イギリスフォードのゼファーなどのイギリス車を所有していたようである。

ボクスホール クレスタ エステートも、そんなエリザベス女王の愛車の一つであった。自らハンドルを握り愛犬たちを乗せて、郊外の別邸の周辺で使っていたとのことである。アメリカ車的なこの車をイギリスの女王が運転しているところを想像すると本当に面白い。

軍用トラックの前に立つエリザベス王女
第二次大戦中のエリザベス王女
1945年4月に撮影されたもの。当時はまだエリザベス王女であった。後ろのトラックは軍の救急車のようだが、彼女はこうしたトラックの運転などを行っていた。
Ministry of Information official photographer, Public domain, via Wikimedia Commons】
サンドリンガム・ハウスの俯瞰写真
サンドリンガム・ハウス
イギリスのノーフォーク州サンドリンガムにある女王の別邸。エリザベス女王は、この別邸の周辺でボクスホール クレスタの運転を自ら行っていた。
John Fielding, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

また、1970年代になると、今度はこのクレスタが、テディボーイと呼ばれたロックンロール好きの若者たちの間で流行した。テディボーイたちは、改造された中古のクレスタに乗り、自分たちの存在を主張した。いわゆる彼らのファッションアイテムにもなったのである。

ここで結論である。ボクスホール クレスタは、このようにイギリスの女王陛下から若者たちにまで愛された車であった。ということはこの車、アメリカ車のようなスタイルだが、まさにイギリスの国民車であった、とも言えるのだ。

クレスタ エステートの動画
1960年モデルのクレスタ エステートを撮影した動画である。外観から内装、走行中、走る姿などをコンパクトにまとめて見せてくれる。荷室が結構広い車であることも実感できる。