フィアット 508C

フィアット 508C
フィアット 508C 1937年

皆に愛された「小さな英雄」。

縦長のラジエターグリルに、目玉のようなライトが付いた4ドア乗用車。イタリアの老舗自動車メーカーフィアットの508Cだ。登場は1937年だが、第二次世界大戦を挟んで戦後の1953年まで長い間製造、販売されていた車でもある。

フィアット508は、フィアットの意欲作。

そもそもフィアット508は、高級車が持つ品質を手頃な価格の小型車で実現しようと開発されたフィアットの意欲作で、1932年に初代である508Aが、1934年には508Bが登場した。

フィアット508A、Bはボディタイプのバラエティが豊富であるのが特徴で、セダンやクーペ、オープンタイプであるスパイダーをはじめ、商用のバンやピックアップなどが揃えられていた。しかし、そのスタイルは、30年代によく見られた箱型の車でもあった。今で言うところのクラシックカースタイルである。

フィアット 508B
フィアット508B
1934年製の2ドアセダンである。直立したラジエターグリルが古式ゆかしい。
KRZYSZTOF at Polish Wikipedia, Public domain, via Wikimedia Commons】
フィアット508のピックアップ車
508のピックアップ
後部に荷台を備えたピックアップも作られていた。やはり、使い勝手の良さが508の“売り”だったのである。
Threecharlie, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

そして、508AとBに続いて登場したのがこのフィアット508Cだ。この車には、30年代スタイルであった508AやBとは異なるボディスタイルが与えられている。車のフロントが緩やかにカーブし、それに沿って縦長のラジエターグリルが付けられ空気抵抗を減らしたいわゆる流線型スタイルである。当時は自動車や鉄道車両などの乗り物にこの流線型を取り入れるのが流行でもあった。

また、エンジンは4気筒OHVエンジンを搭載し出力を上げ、独立したフロントサスペンションを採用するなど、これまでの508より洗練されたメカニズムも備えていた。登場した2年後の1939年にはさらにグレードアップし、フィアット1100に名前が変更される。508Cは、508AやBとはやはり大きく異なる車なのである。

フィアット 508Cのスタイル
フィアット508Cのスタイル
全体的に曲線を活かした流線型のデザイン。箱型の車が多い中で、モダンなスタイルというイメージを見る人に与えただろう。4ドアであるが、真ん中から両側に開くいわゆる観音開きである。

508の愛称について考える・・・。

イタリアの人気車には愛称が付く。508Cによく似た二人乗り小型車フィアット500にはトポリーノという愛称がある。トポリーノとはハツカネズミを意味する言葉だそうだが、当時すでに庶民の人気者であったディズニーのミッキーマウスのことでもある。そしてこの508にも、508Aの時から愛称が付いている。バリッラと言う。

バリッラとは何か。バリッラは、18世紀イタリアのジェノヴァにいた少年の愛称でもある。その少年には、当時ジェノヴァを占領していたオーストリア軍の兵士に石を投げ、それがきっかけで市民が蜂起してオーストリア軍を追い出すことができたという話がある。そんな逸話が元になっており、「小さな英雄」といった意味を持つ名前でもあるのだ。

フィアットは、小型でスタイルも性能も優れたこの508に、ジェノヴァの小さな英雄の名を付けたのである。

石を投げる少年の姿を描いたフィアットの広告
フィアットの広告
1932年の雑誌に載った広告のようである。上にはグリルにバリッラと書かれたフィアット508が描かれており、前には石を投げる少年の姿が大きく書かれている。彼こそジェノヴァの小さな英雄なのだ。
Davide Mauro, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

E.I.A.R.とは何。

508Cバリッラが生まれた1937年、イタリアは、ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党の政権下にあった。1937年と言えば、イタリアは日独伊防共協定を結び、枢軸国としての体制を整えていた頃でもある。そして1940年には第二次世界大戦に参戦する。

この頃はヨーロッパはどこの国でも同様だったが激動の時代であった。ゆえにフィアット508Cは、庶民向けの小型ファミリーカーとして登場はしたが、庶民の車として活躍する場はあまりなかったことだろう。

このページの最初の写真の508Cには、ボディにE.I.A.R.と書かれている。E.I.A.R.とは何か。それはEnte Italiano per le Audizioni Radiofonicheの略で、日本語にするとイタリアラジオ放送協会である。つまり日本で言えばNHKのようなものだ。

したがって、この車は一般の庶民の自家用車ではなく、イタリア放送協会の車と言うことになる。確かにフロントにはE.I.A.R.と書かれた旗が2本立っており、マスコミの車っぽいところもある。なにか事件が起こった際には新聞社の車よろしく出動して取材を行っていたのだろうか。詳しいことはよくわからないが・・・。

E.I.A.R.本部の写真
E.I.A.R.本部
ローマにあったE.I.A.R.の本部の前で撮られた写真。1943年撮影。手前にフィアット508Cらしき車が停まっているが、人物と比べると小型車である。これは、トポリーノと呼ばれたフィアット500である。
Bundesarchiv、Bild 101I-304-0614-22 / Funke / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons】
フィアット508C
フィアット508C実車
1938年製のフィアット508Cである。美しくレストアしてある。それにしてもフロント周りはフィアット500とそっくりである。
Handelsgeselschaft, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

ラジオは、1909年にイタリア人の発明家が発明したとされている。ところがイタリアは、ラジオ放送において他のヨーロッパ各国と比べかなり遅れをとっていた。しかし1930年代から40年代にかけて、ラジオはプロパガンダの重要な道具として認識され、各国ではラジオ放送の充実やラジオ受信機の普及に力を入れていた。そこでイタリアでは、1925年にE.I.A.R.イタリアラジオ放送協会を設立。ラジオの普及に努めたのである。

E.I.A.R.のラジオ普及に一役買った508C。

ラジオ受信機の庶民への普及にあたり、イタリア放送協会は、低価格のラジオを企業に作らせ売り出した。イタリア初の量産型ラジオの誕生である。誕生したのは1937年、しかも名前はラジオバリッラと言う。奇しくもフィアット508Cと生まれた年も名前も同じである。そしてこのラジオバリッラのおかげで、イタリアのラジオ加入者数は急速に伸びていったようだ。

ラジオバリッラを作ってラジオを聞く世帯の数を増やしたイタリア放送協会が、最新型のフィアット508Cを街に走らせてラジオ放送の宣伝を行ったというのは考えられることではある。流線型スタイルのかっこいい車にE.I.A.R.と書き、おまけに旗も2本掲げて走っていくのだから大いに宣伝になったことだろう。しかも車の愛称は、ラジオと同じバリッラなのである。

E.I.A.R.の低価格ラジオ
ラジオバリッラ
E.I.A.R.肝いりの低価格ラジオ。量産型ではあるが、結構ナイスデザインのスグレからモノである。今でも部屋に置けばいいインテリアになりそうだ。このあたりはさすがにイタリアでもある。
Sailko, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
ラリー・ポーランドの508C
ラリーに出場した508C
1939年6月のラリー・ポーランドに508Cが出場。ラリー・ポーランドは、モンテカルロラリーに次ぐ古い歴史を持つラリーである。508Cは、そんな大イベントにも出場するフィアット自慢の新型車だった。しかしこの3ヶ月後、ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まる。
Narodowe Archiwum Cyfrowe 3/1/0/5/1653/1, Public domain, via Wikimedia Commons】

なお、バリッラという名前であるが、「小さな英雄」ということで、ファシスト党が政権を取っていたこの時代にはよく使われた名前でもある。有名なものにファシスト青年組織オペラ・ナツィオナーレ・バリッラがある。子どもたちをファシズム体制に組み込もうという目的で生まれた組織であり、ナチス・ドイツのヒトラーユーゲントと似たようなものだ。

そんなイメージもあって、このフィアット508Cは、ファシズム政権下である戦前から戦中にかけてはヒットしたと考えられる。しかし、この車、1937年から戦後の1953年まで製造、販売が続けられていたのだからイメージばかりでもないようだ。やはり運転性能がよく、購入もしやすいいい車だったのである。

しかも、バリッラという愛称のおかげで皆から愛されてもいた。どちらにしても「小さな英雄」である。

フィアット508C動画
内装、外観、走る姿、エンジン等々、508Cのすべてを見せまくる動画である。両開きのドアを開くと、なんとこの車ピラーレスであることもわかる。コンパクトで開放感もあり、運転もしやすそうだ。やはりこの車、小さな英雄である。