アウトウニオン 1000SP

アウトウニオン1000SP
アウトウニオン 1000SP 1958年

ドイツ生まれのアメリカン・スポーツカー。

1950年代のアメリカ車を思わせるスタイル。ドイツの自動車メーカーアウトウニオンのスポーツカー1000SPである。誕生したのは1958年だ。

アメリカ車を思わせると書いたが、幅広いラジエターグリルにフェンダーと一体化したヘッドライト、リアを見ればテールフィンと尖ったバックランプが見事で、とてもドイツ車には見えない。

1000SPのスタイル。エンブレムのアップも。
アウトウニオン1000SPのスタイル
幅広いラジエターグリル、バックはテールフィンと尖ったバックライト。とってもアメリカンなスポーツカーだ。トランクのドアに付いている4つの輪にも注目!

この車、1955年生まれのアメリカ車フォードサンダーバードによく似ている。実際にアウトウニオンはこの車の開発に際し、当時アメリカでヒットしていたフォードサンダーバードのデザインに影響を受けたようだ。

フォードサンダーバード(初代)
フォード サンダーバード
1955年から57年まで製造、販売された初代のサンダーバードである。フロント周りもテールフィンも確かによく似ている。
Greg Gjerdingen from Willmar, USA, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

4つの輪のエンブレム。その由来は。

さて、似ていると言えば、この車のトランクのドアに付けられているエンブレムにも注目である。4つの輪が繋がったエンブレム、これはドイツのアウディに似ている。似ているというより、アウディそのものである。では、アウトウニオンとアウディにはどんな関係があるのだろうか。

アウトウニオンとは日本語に訳せば“自動車連合”だ。ドイツの4つの自動車メーカーが合併し、つまり連合して生まれた企業である。設立されたのは1932年だ。

1930年代の初めは、世界恐慌の影響でドイツの産業界は不況に陥り、自動車業界にはアメリカ資本の波が押し寄せてきていた。1931年にアメリカのフォードがドイツフォードを設立し、フォード車の現地生産を始めた。また同じ年、ドイツのメーカーだったオペルがアメリカのGM(ゼネラル・モーターズ)の子会社となった。

そんな状況の中で、ドイツ国内の自動車メーカーは危機感を持ったのだろう。ホルヒ、アウディ、ヴァンダラー、DKWの4社が合併し、アウトウニオン“自動車連合”を設立したのである。ロゴは、4社を意味する“フォーシルバーリングス”。これが4つの輪の由来であり、アウディは合併した4社の一つでもあったのだ。

アウトウニオンの金属製ロゴタイプ
アウトウニオンのロゴ
ラジエターグリルに付けられたロゴである。4つの輪にAUTO UNIONの名前も付けられている。
User:Jed, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
1000SPのグリルに付けられているエンブレム
1000SPと4つの輪
2006年の旧車イベントで見られた1000SP。フロントのラジエターグリルに大きめのフォーシルバーリングスが付けられている。こうなると、もうアウディ車である。
Flominator, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

戦後初のヒット車は、リッターカー。

このアウトウニオンは、得意分野を持つ4社合併のおかげで、数々のヒット車やレースカーを生み出した。そして、1935年にはドイツの乗用車市場の半数を占めるなど、大いに業績を伸ばすことになった。

しかし、1939年に始まった第二次世界大戦によりこの会社の躍進もストップしてしまう。

1945年、第二次大戦は終結するが、ドイツは敗戦国となり混乱が続いた。そのためアウトウニオンとして自動車の生産が本格的に再開されたのは1950年代である。そのアウトウニオンが送り出した戦後初のヒット車は、アウトウニオン1000であった。

アウトウニオン1000は、アウトウニオンが戦前から培っていたテクノロジーをベースに作られた車であり、1958年から1963年まで製造されていた小型ファミリーカーだ。

アウトウニオン1000Sクーペ
アウトウニオン1000Sクーペ
1958年から63年にかけて製造、販売されていた。上はドイツのアウディミュージアムが所蔵している1台。赤と白のツートンがキュートである。
Lothar Spurzem, CC BY-SA 2.0 DE, via Wikimedia Commons】

曲線を生かしたデザインで大きなラジエターグリルとヘッドランプによる愛嬌のある顔が特徴だった。そしてラジエターグリルの中央にはあの4つの輪が付いていた。

1000という名前からわかるように、エンジンは981ccであり、しかも当時はまだ珍しいFF車、前輪駆動の小型ファミリーカーだった。つまり、現在で言うところのリッターカーである。

曲線を生かしたデザインでかわいいイメージなのも納得である。リッターカーとは日本語の造語で1000ccクラスの小型車を指す言葉として流行したが、話題となったのは1970年代からだ。しかし、ドイツには1950年代からこんな車があったのである。

1000Sが写っている昔の写真
イースターで見られた1000S
イースターのお祭りに集まる車を警察が誘導している。車列の先頭は1000Sだ。この時期1000Sは販売が終わっていたのだが、まだキレイである。愛されていた車だったのだ。1000Sの後ろにはフォルクスワーゲンタイプ2がいる。1965年の4月に撮影。
Eric Koch for Anefo, CC0, via Wikimedia Commons】

1000とは見た目が全く違う、1000SP。

さて、このアウトウニオン1000から派生したのがアウトウニオン1000SPである。

SPとはスポーツではなくスペシャルの略だそうだが、かわいいリッターカーの派生車種がサンダーバードのようなスポーツカーというのも興味深い話だ。普通だったら1000のデザインのままで内装を豪華にするとか、コンバーチブルにするといった形になりそうだが、全く違うデザインにしたのである。

アウトウニオン1000とは全く違うデザインだが、システムは同様で、981ccのエンジンのFFである。最もエンジンは改良されて馬力がアップし、最高速度は時速140kmを出したそうである。では、なぜアウトウニオンは、こうしたスポーツカーをここに投入したのだろうか。

アウトウニオン1000SPロードスター
アウトウニオン1000SPロードスター
ロードスター、いわゆるオープンモデルである。やはり大型のアメリカ車とは違い、コンパクトだ。ドイツのアウディミュージアム所蔵の一台。
Lothar Spurzem, CC BY-SA 2.0 DE, via Wikimedia Commons】
アウトウニオン1000SPの運転席
運転席回り
アウディミュージアム所蔵の1000SPの運転席。全体的にコンパクトだが、ハンドルの形が当時のアメリカ車の影響を受けているのがわかる。
【https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/53/AU_1000_Sp_Roadster%2C_Armaturen_%28museum_mobile_2013-09-03%29.JPG】

アメリカ資本の攻勢に対抗。

戦後10年が過ぎてドイツの経済や生活も落ち着きを取り戻していた。一般庶民も車を持つ生活を考えるようになってきていたが、この当時つまり1950年代に庶民向けの小型車を出し人気を集めていたのは、ドイツフォードとGMの傘下にあったオペルであった。

つまり売れていたのはアメリカ資本のメーカーによる車だったのである。そしてそのメーカーからはアメリカ車のイメージを持った車が次から次へと出されていた。

これに、ドイツの自動車連合アウトウニオンは黙っていられなかったのではないだろうか。自分たちにもアメリカ車のようなスマートなスポーツカーができるんだぞというわけである。そこで登場したのがフォードサンダーバードに似た1000SPである。

アウトウニオン1000SP動画
1000SPのオーナーが車を紹介する動画。内外装、エンジン、走行時の様子などが丁寧に撮られている。オーナーはこの車でヨーロッパの半分を旅したと豪語している。また、リッターカーにしてはエンジンの響きがいい。やはりスポーツカーなのである。

もともと小型車がベースであるので、本家サンダーバードよりひとまわり小さく、ベイビー サンダーバードというあだ名を頂戴したそうだ。本家の初代サンダーバードもベイビーバードと呼ばれていたので、ベイビー・ベイビーバードである。しかし、その小ささがよかったのだろう。本家よりも運転しやすく、乗り心地も優れていたようである。

1950年代は、図体の大きいアメリカ車が世間の人気をさらっており、富の象徴的存在でもあった。したがって、ドイツの自動車メーカーがそんな流行に合わせて車づくりを行うのも無理のない話ではある。

でも、それによってコンパクトで性能も優れたスポーツカーが生まれてしまったのだから面白い。当然ながらこの車、旧車ファンにはとても人気がある。