車のヒットとは何かを考えさせる車。
1967年に登場したシトロエンの大衆車である。1960年代の後半に生まれた車ではあるが、当時の普通の乗用車とは形が少し違う。ボンネットとフェンダーが別れており、フロントには小さめのラジエターグリルと角型ヘッドランプ。全体的に車高があり、大きなバックドアのハッチバックスタイルが個性的だ。
シトロエン2CVの後継車。
この形には原型がある。シトロエンディアーヌは、戦後のシトロエンを代表する名車シトロエン2CVの後継として生まれた車なのである。シトロエン2CVといえば戦前から企画、開発が進められ、戦後すぐの1948年に登場した大衆車であった。排気量400ccの非力ながらも、その経済性、運転のしやすさで人々に親しまれた。
ディアーヌが生まれた1967年、2CVは登場してからすでに20年近く経っており、競合他社からの追い上げを受けていた。そこでシトロエンは、2CVではもう勝負できないと考え、新たに後継車のディアーヌを投入したのである。当時都会的なイメージで特に人気を得ていたルノー4に対抗する車として製造されたようだ。
「2CVとはどんな車?」から考える。
なぜ、2CVではダメだと考えられたのだろうか。そもそも2CVの開発コンセプトは「農家で使う車」であった。2CVの企画、開発が進められていた頃のフランスの農家と言えば、手押し車に家畜の引く車が主な移動手段であった。そこで、農家で便利に使うための車として作られたのだ。
当時の開発目標として、50kgのジャガイモを載せられるとか、カゴいっぱいの卵を載せて農道を走っても卵が割れないと言うのがあった。もちろん、誰でもすぐに購入でき、維持費が安いという条件もあった。そうした目標のもとで、小さなエンジンで力強く、しかも揺れが少ない快適な車が誕生する。そんな状況であるから車のデザインは二の次であった。
農家での実用性を追求した結果生まれた2CVは、とても奇妙なスタイルの車となる。モーターショーで発表したとき、人々はとても困惑したという話が伝わっている。マスコミは2CVを「乳母車」とか「みにくいアヒルの子」と揶揄し、立ち会ったフランス大統領も言葉を失ったそうである。
ところが、マスコミの評判はイマイチだった2CVも、ユーザーとなる大衆には大いに受け入れられるのである。形はどうでも、経済的で実用的というのはやはり大きなメリットなのである。登場2年後の1950年には、月産400台の生産が行われるようになる。その後2CVは、排気量の拡大や内外装の改良が加えられ、さまざまな派生モデルも生み出されるなど、フランスの国民車として認識されるようになっていった。
2CVのいいとこ取りでリニューアル。
しかし、60年代後半になると、さまざまな大衆車が他メーカーからも販売され、自家用車を持つことが田舎でも都会でも普通の生活となってくる。そうなってくると、ヒット車2CVも売れ続けることは難しいだろうという話になる。メーカー側としては当然の反応である。
「2CVは、古臭い。街角に止まっているのをよく見かけるが、もともと農家向けなのであるから、都会の洗練されたイメージは合わない。ルノー4のような車にしなければ!」というわけである。
そこで、都会的なイメージを目指しながら、2CVの機能性や実用性を残した車ということでシトロエンディアーヌは開発される。2CVのシャーシやエンジン、トランスミッションなどの基本構造を活かし、そこに新たなボディを載せた車の誕生である。
新たなボディは2CVらしさを残しながらもより直線的でスマートなデザインとし、全長と車幅も少し広げた。街角に止まっていても絵になる車で、しかも室内は広く快適に過ごせるようと考えたのである。また、後ろは大きなハッチバックにして、実用性も十分に考慮した。ディアーヌはこのように「これなら売れないわけ無い!」というシトロエンの意気込みがうかがえる車となったわけだが、果たして結果はどうだったのだろうか。
ディアーヌも売れるには売れたが・・・。
シトロエンの新型車であるということと、積極的な宣伝活動によってディアーヌは発売2年目から年間約10万台を製造する車となった。それはそれで成功と言える。ところが2CVも同じように売れ続けたのである。
通常はモデルチェンジなどで新型車がリリースされると、旧型車は製造を終えるものである。しかし、2CVは製造を継続していた。やはり市場からの熱い要望があったのだろう。そして、新型車ディアーヌ発売当初こそ2CVの製造数は落ち込むが、1970年にはディアーヌを抜いてしまうのである。
それ以降、ディアーヌの製造数が旧型の2CVの製造数を抜くことはなく、1984年にはディアーヌは製造を終えてしまう。一方、2CVは、1990年まで製造が続けられるのである。
メーカーは、2CVは古臭い、田舎臭いと考えて新型車を作ったわけだが、ユーザーの方はそう考えていなかったのだ。「ちょっとおしゃれで街乗りにピッタリな車。」「あの個性がたまらない。」なんて、ユーザーは2CVを愛していたのである。「こんな車はもう二度と生まれないだろう。これはフランスの国宝だ!」とまで思ったかどうかは知らないが、古臭さをこよなく愛した人もいたことだろう。
このように後継車が育たない車は2CVだけではない。イギリスのミニやフォルクスワーゲンのビートルもそうだ。しかし、こればかりは歴史のなせるわざというか、どうにも予測はつかない現象でもある。
シトロエンディアーヌは、結局18年の間も売れ続け、最終的に144万台も製造されたのであるから決して失敗した車ではない。2CVが凄すぎたのである。