東京見物

昭和30年ごろ 東京都千代田区で撮影

皇居、東京タワー、国会議事堂。昭和30年代では、以上の3点が東京見物の3大名所。はとバスに揺られてみんなそこに向かったものです。
この写真は、皇居での記念撮影。皇居に来たなら普通は二重橋をバックにするものですが、反対の丸の内側をバックにしています。東京見物とは言ってもこの家族は皇居には何回も来ていましたからことさら珍しくはなかったのでしょう。でも、そのおかげて当時の東京の街並みが写っていて興味は尽きません。

写真から昭和を見つける

日本郵船ビルディング
大正12年(1923年)5月に竣工。同年9月の関東大震災で被災したが、大きな被害は受けなかった。上部に装飾が施された重厚感に溢れるデザインであり、絵葉書にもなっている。
当時の丸の内にはこうした大正から昭和初期の建築物がたくさん存在していたが、多くは解体され、高層ビルとなった。このビルも、昭和51年(1976年)取り壊された。

丸の内ビル群
日本郵船ビルの隣は三菱商事ビルだが、撮影時には建築中だったものと思われる。そのため奥のビル群が見えている。
東京駅と皇居の間の丸の内には多くの大規模ビルが建てられてオフィス街となり、その景観から一丁倫敦(ロンドン)と呼ばれた。

日比谷通り
皇居の内堀の脇を走る通りである。この当時はまだ車の数は少ないようだ。

幼児
毛糸の服に帽子。堀を渡る風が冷たかったのだろうか、温かな服を着せられている。

男性
抱き上げている幼児の父親。丸い眼鏡をかけ背広にネクタイの正装である。観光だからといって今のようにラフなスタイルはしない。正装で出かけるのが普通だった。

白鳥
白鳥が羽を休めている。皇居(江戸城)にかかわらず、水のあるお城のお堀にはたいてい白鳥が来ている。当時も今も変わらない景色である。

内堀
皇居の内堀、馬場先壕である。写真の右に江戸城馬場先門があったためこの名で呼ばれる。たたえる水も石垣の様子も現在と変わらない。

欄干
皇居の内堀に架けられた行幸通りの石造りの欄干である。作られてから100年ほど経っているが、現在も同じ欄干を見ることができる。

行幸通り
ぎょうこうどおり、あるいはみゆきどおりとも読む。東京駅から皇居までの短い道で道路延長は約190m。天皇が皇居から東京駅まで行幸する道であることからこの名がついた。写真には写っていないが、先には東京駅が見える。