飛行場にて

昭和34年8月ごろ 東京都大田区で撮影

羽田飛行場でのひとコマです。すでに東京国際空港という名前はありましたが、まだまだ多くの人にとっては羽田飛行場でした。しかも飛行機といえば庶民はもっぱら眺めるもの。飛行場に行ってその勇姿を目にして、乗った気になっていたものです。
したがって海外旅行などというのは夢のまた夢。「トリスを飲んでハワイへ行こう」なんて話題を呼んだコマーシャルも思い出されます。

写真から昭和を見つける

照明
夜間に離着陸を行う飛行機のためのライトである。夜の9時や10時に発着する便がこの頃すでに存在していた。

滑走路
当時は現在のようにひっきりなしに飛行機が離着陸するような過密ダイヤではなかったので、ほかの飛行機もあまり見えない。

飛行機
日本航空の所有する飛行機。ジェット機ではなくプロペラ機である。機種はダグラスDC4。主に国内線で使用されていた。

日本航空のマーク
日本航空と言えば鶴のマークが思い出されるが、この機体はまだ鶴のマークではなく、英文字のJALを丸い形の中にデザインしたものが使われている。鶴のマークが登場するのは昭和34年の7月からで、ジェット機のDC8に描かれた。

飛行機の名前
当時の日本航空の飛行機には白馬、高千穂、榛名など日本の山の名前が愛称として付いていた。写真の飛行機は「穂高」である。

若い男性
地方から羽田飛行場を見学に来た。白いシャツにズボンで腰にはベルト。シャツをズボンの上に出すなんて着方はまだ無かった。

牽引車
飛行機や飛行機に積み込む荷物のコンテナなどを牽引する車。この当時から働く車として子供たちに人気の高かった車である。現在ではトーイング・トラクターと呼ばれる。

子供
幼稚園の帽子を被っている。止まっている飛行機とは別の方向を見ているところからすると、別の飛行機が着陸あるいは離陸するのを見ているのだろうか。

ターミナルビル
羽田空港ターミナルビルが営業を開始したのは、昭和30年である。この写真はビルの展望台で撮影したものと思われる。飛行機を間近で見ることができた。