縁側で

昭和32年ごろ 神奈川県横浜市で撮影

縁側に皆が集まって写真・・・今ではなかなかお目にかかれない風景です。昭和30年代の家は、狭いながらも広い縁側だけはありました。サザエさんの家を思い出してください。広い引き戸の玄関があって、玄関の左には縁側が伸び、縁側の奥は座敷、前は庭になっています。そして縁側では、さまざまなドラマが演じられます。
広い縁側が無くなった今では、この写真のように縁側に皆が集まるとか、縁側に近所の人が訪ねてくるといったこともありません。どうも縁側の有無は、家族のあり方とか、ご近所の人間関係とかいった問題とも関係がありそうです。

写真から昭和を見つける

眼鏡
マルブチのメガネである。マルブチというと、現代ではメガネのデザインのひとつであるが、当時は、メガネと言えば丸く太い縁のものと決まっていた。

障子
張りたての障子である。子供のいる家庭では障子がよく破られた。そこに花形のいわばパッチをあてたりしたものだったが、大掃除の時期になると、新しい紙に張り替えた。張りたての障子があるだけで、家の中がすっきりときれいになったように感じたものだった。

着物
お年寄りはいつも着物という習慣は、この時代はまだ健在であった。やはり、着物が普段着だったという明治生まれの人間がお年寄りをやっていた時代なのである。
なお、現代のお年寄りは普段着に着物は着ていない。


木製の戸である。この外側にさらに雨戸がつく。
木製の桟にガラスが嵌められたこうした戸も最近は見なくなった。木製の戸がアルミサッシになって行くのと平行して縁側文化も廃れていったように思う。サッシのついた縁側にはあまり長居をしたくないからだ。

縁側
これだけの人間が集まれるのだから広い縁側である。でも、当時はこれが普通だった。手入れのよい家の縁側は黒光りしていたものである。

縁の下
縁の下という言葉は現代では死語である。今の家は、床と地面の間には外からは入り込めないようになっている。
ところが当時の家の縁の下は広い。ここにノラ猫や迷い犬などが住みついたものである。風呂の燃料になる薪や、こいのぼりをあげる竿などの収納場所にもなった。

下駄
下駄といっても、歯があまり出てないいわゆるツッカケである。池の鯉にえさをやるとか、洗濯物を干すとか、ちょっと庭の手入れをというときには、石の上に置いてあったツッカケをつっかけた。夏でも、冬でもはだしにツッカケだった。

踏石
縁側から庭に降りる所には、この石が置いてあり、石の上には下駄やサンダルが置いてあった。ゆえに手前のカメラ側が庭となる。庭にはたいてい池があって、金魚や鯉が泳いでいた。