路地に入ると

昭和39年ごろ 神奈川県横浜市で撮影

誰々の家なら、そこの路地を入って・・・地元の人に道を尋ねるとそんな説明をよくしてくれました。路地とは、本通りから入った細い道のこと。でも、最近では路地というこの言葉、あまり使わなくなりましたね。
路地はそこに住む人々の生活道路。主婦が立ち話をしたり、こどもが石蹴りをしたり。夏の午後には金魚売りが通ってゆきましたし、夕方になるとお豆腐屋さんがラッパを鳴らしながら入ってきたものです。

写真から昭和を見つける

物干し 
どこの家にも庭に物干しがあった。二本の木の柱を建て、そこに物干し竿を掛けるタイプである。洗濯物を高い位置に干すことができた。ハンガーなどを使っている家は無かった。

木造の民家
建物が密集している都会では防火仕様が求められるが、この家は、外壁に普通の木の板を貼っている。建築基準法が制定されたのは昭和25年。こんな木造建築はまだ多かった。

電柱
木製の電柱である。現在は電柱といえばコンクリート製であるが、当時は多くが木製だった。表面は黒いタールで塗られていた。

板塀
多くの都会の民家は、木の板が交互に組んである板塀で囲まれていた。こうした板塀の場合、下の方には板は無く横に木が通してあるだけなので、屈み込めば中が丸見えだった。

ブロック塀
板塀では無用心という家ではブロック塀にした。ブロックをセメントで接着しながら積み上げてある。所々に穴の空いたブロック(透かしブロックともいう)を積んで塀全体をデザインした。

軽トラック
クリーニング店の軽トラックのようである。狭い路地には他の車が入ってくることはなく、駐めておいても問題は無かった。
車種は愛知機械工業の「ヂャイアント・コニー360」。なお、愛知機械工業は現在は日産自動車の子会社である。昭和40年代まで自社ブランドの自動車を製造していた。

子供
園児服を着ている。胸章を付けているところからすると、幼稚園の入園式から帰ってきたのだろうか。

未舗装の路地 
当時は、舗装道路は車通りの多い主要道路だけで、路地は未舗装が当たり前。雨が降るとぬかるんで大変だった。定期的に砂利を撒いて歩きやすくしていた。

家庭のスナップ写真から、昭和のあの頃を考える。