ドライブインで休憩

昭和37年8月 山梨県で撮影

休日にドライブへ出掛けた家族、途中のドライブインに車を駐車して休憩です。今でしたら高速道路のサービスエリアや道の駅に車を停めてといったところでしょうか。建物にサービスステーションと大きく書いてあるのも時代を感じさせます。そういえば最近では、ドライブインという言葉もあまり聞かなくなりました。
この時代、休日のドライブは気軽できるものではありませんでした。観光地に車を走らせてドライブインで休憩、なんて最高のレジャーであり贅沢でした。

写真から昭和を見つける

店の看板
サービスステーションと書いてあるようだ。もしかしたらガスステーションかもしれない。そうならばここはガソリンスタンドであり、写真の右側には給油機があると思われる。

店舗
店の中は食堂か土産物屋になっているようだ。これは現在のサービスエリアや道の駅と基本的に変わらない。

野球帽
助手席に座る子供は、野球帽を被っている。今では野球帽を被っている子供は少ないが、当時の子供は多くが野球帽であった。帽子の正面のマークは当然のように巨人軍。巨人、大鵬、卵焼きの時代である。

自動車
外車である。車種は、オースチン・A50ケンブリッジ。日産自動車がライセンス生産していた車かもしれない。日産のオースチンA50は、トヨタのクラウンに対抗する車種として生産され、タクシーなどにもよく使われた。
この家族のドライブに使われた車は、ドアやフロントグリルに企業のマークが付けられているのを見ると、父親の通う会社の社用車であることがわかる。

企業のマーク
株式会社大林組の社章である。大林組は、大手ゼネコンの一つであり明治25年創業。
車のフロントグリルに金属製の社章がつけてあり、前のドアにも描かれている。この社章は明治26年に定められたもので、平成2年まで使用されていた。

自家用の表示
この時代は、ドアの下部に「自家用」と表示された車をよく見かけた。これは、当時の車のナンバープレートが自家用車と商用車で色分けされていなかったためである。この車は社用車だが自家用車登録であったため、自家用の表示が必要だった。

駐車場
舗装ではなく砂利が敷いてある。地方の観光地のドライブインは多くが土が剥き出しであり、砂利が敷いてあるのはまだいい方だった。

家庭のスナップ写真から、昭和のあの頃を考える。