広い自動車道

昭和32年8月 神奈川県川崎市で撮影

街の自動車道です。撮影場所は川崎の工場地帯の近くですから、今では車がひっきりなしの道路です。でもこの写真では、車はほとんど走っていません。遠くに見える車も走っているのではなく、駐車しているようです。
当時は、モーターショーも東京で開催されたりして、自動車社会の様相が見えはじめてきたころ。でも、車がひっきりなしという道は、都会でも一部でした。交通戦争という言葉ができたのもこの後のことです。

写真から昭和を見つける


工場の排出するガスのおかげで、晴れていても白い空しか見ることはできなかった。しかし、当時はそれが工業国ニッポンの象徴でもあった。環境問題という言葉はまだ生まれていなかったし、公害という言葉すら聞かなかった。

工場
高い塀の向こうは工場である。ここは、日本鋼管の工場であった。

トラック
ダンプトラックの後ろ姿が見える。きっと前部はボンネット型であろう。

三輪自動車
昭和30年代を象徴する車である。有名なのはダイハツミゼットであるが、当時は各社から三輪車が発売されていた。この大きさとスタイルから見ると、マツダのオート三輪のようである。

このタイプの車はヒット商品となり、30年代から昭和40年代のはじめぐらいまで各地で見ることができた。

電柱
電柱、またの名を電信柱。
現代の電柱には電気の他に電話、光ファイバー、ケーブルテレビ等さまざまな線が同居しているが、当時の電柱は電線と電話線ぐらいのものだった。上に白熱球の街灯がついているのもあった。

産業道路
国道1号線と平行し、最も海側を走っている道である。工場地帯の脇を走るため、車も多くが事業用車であった。最もこの時代、マイカーを持っている家など無かった。
現在ではこの道路の上に首都高速横羽線が走っており、この景色を見ることはできない。

子供
広い自動車道のガードレールもない歩道の上に小さな子供を立たせて写真を撮ろうなんてことは、車がひんぱんに通っていたらとてもできない。それだけ当時は車の通行が少なかったのである。走っているのはもっぱら自転車だった。

歩道
コンクリートの四角い板を敷き詰めた歩道である。現在も時折見かけることがある。広い自動車道路の脇の歩道であるが、ガードレールは付いていない。

家庭のスナップ写真から、昭和のあの頃を考える。