洗濯物を干す

昭和30年7月 静岡県浜松市で撮影

今でも都会の下町に行くと屋根の上に作られた物干し台を見かけます。家が建て込んでいる場所では、洗濯物は家の上で干すのが自然。昔は洗濯機に乾燥機能などは付いていませんでしたから、晴れた日の朝は、どこの家でも屋根の物干し台に一斉に洗濯物が並びました。
しかもこの写真、洗濯物を干すお母さんは和服に割烹着という姿。別に演出でもなんでもなく、普通にこのスタイルで生活していたのですから時代を感じます。干している洗濯物が浴衣というのもいいですね。

写真から昭和を見つける

銭湯の煙突
ひときわ高い煙突が見えるが、これは銭湯の煙突であると思われる。内風呂のある家は少なかったため、この時代には町内に一軒は銭湯があった。当時の入浴料は大人15円子供6円(東京都の場合)であった。

物干し
物干し台にはV字型の木が付けられている。ここに洗濯物を通した物干し竿を掛けて洗濯物を乾かす。

瓦屋根
瓦を葺いた屋根。使われている瓦は、愛知県の三州瓦であろう。棟の瓦を白い漆喰で塗り固めてある。浜松は冬になると風が強く吹くため、瓦を漆喰で固めた。

民家
木造の民家である。建物が密集している場所では防火仕様が求められるが、この家は、外壁に普通の木の板を貼っている。建築基準法が制定されたのは昭和25年。こんな木造建築はまだまだ多かった。

割烹着
仕事をする際に服の汚れを防ぐために着る前掛けの一種。着物の上から着用することができる。割烹着という名前の通り、始めは調理を行う際に着る仕事着として考案されたが、昔の主婦は調理を始め洗濯、掃除などの全ての家事で着用していた。専業主婦のユニフォームでもあった。

洗濯物
現代のようにピンチの付いた物干し用のハンガーなどは無かったので、洗濯物は物干し竿に通して干した。植物の模様の付いた浴衣を干しているが、これは寝巻として使っているものであろう。また、手前の布はオシメであると思われる。

物干し台
家の建て込んだ都会では広い庭が無いため、家の屋根あるいは小屋根の上に物干し台を作り付た。主婦は毎日洗濯物を持って物干し台まで登り、洗濯物を干した。