新婚旅行

昭和28年11月 神奈川県箱根で撮影

結婚をして旅行に出るという習慣はいつごろから始まったのでしょうか。
日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本竜馬というのは有名な話。でも、庶民の新婚旅行が流行したのは昭和の初期で、東京近辺の新婚カップルは「熱海」に向かいました。
戦後も昭和20年代、30年代は、新婚さんはやはり「熱海」へ。昭和40年代になると「宮崎」になり、「沖縄」となり「ハワイ」へとなっていくのはご承知のとおり。
上の写真は、まだ「熱海」が主流だったころの新婚さんの写真です。

写真から昭和を見つける

箱根の外輪山
芦ノ湖をめぐる外輪山が後ろに見える。現在はこの山にも箱根スカイライン、芦ノ湖スカイラインなど自動車専用道路が通っているが、当時はまだ開通していなかった。

ハイヤー
熱海で頼んだハイヤー。写真の新婚は、熱海から箱根に行き、この後、三島まで足を延ばしたらしい。結構な贅沢である。しかもこのハイヤーには運転手だけではなく、助手も同乗していた。それほど、当時の道路事情は悪かったのだろうか。

十国峠
この写真は、熱海から箱根に通じる十国自動車道路の途中にある十国峠でのショットである。十国峠には、いま大きなドライブインがあり、峠の頂まではケーブルカーが通じている。ケーブルカーの開通は昭和31年10月、ドライブインは39年1月から営業開始であるので当時は展望台だけであった。

富士山の美しい姿は昔も今と同じ、ここに来た者はみな富士山をバックに記念写真を撮る。

新婚ファッション
昔は、この写真のように新婚旅行のファッションとは正装であった。現在のように新婚カップルが旅行を楽しむという形ではなく、これから二人で暮らしてゆく上での正式な準備という意味合いが強かったのだろう。

自動車
車種はフォードカスタム。昭和20年代の終わりといえばモーターショーが開催されるなど、モータリゼーションの萌芽が見られた時代だが、まだ日本車は営業車として使われることは少なかったようだ。なお、トヨタのクラウンが発売されたのは昭和30年である。

ナンバープレート
現在より横長のプレートに、1行で表示されたナンバー。「陸運事務所を示す文字(地名の頭文字)」+「分類番号1桁」+「一連指定番号(3~5桁)」という表示であり、昭和26年に定められた様式である。現在と同様の様式、大きさになったのは昭和30年である。

写真からは、静岡県の「静」と分類番号、指定番号が判読できる。

十国自動車道路
昭和7年8月に営業を開始した観光用の自動車専用道路。開発は駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道)。当時はまだ有料であったが、バスやハイヤーなどでたくさんの観光客が訪れた。アスファルト舗装ではなく、継ぎ目のあるコンクリート舗装である。

家庭のスナップ写真から、昭和のあの頃を考える。