ランボルギーニ 350GT

ランボルギーニ350GT
ランボルギーニ 350GT 1964年

社長の趣味から生まれたスーパーカー。

ランボルギーニである。フロントの柔らかな曲線の中に立ち上がる2つのヘッドライトが印象的だ。3.5リッターのV12エンジンを搭載したGT、つまりグランツーリスモで、2ドアクーペとオープンタイプのロードスターがラインアップされていた。登場したのは1964年である。

ランボルギーニといえば、イタリアのスーパーカーメーカー。合言葉のように出てくる車の名はカウンタックである。ミウラも有名だ。それらは、日本の1970年代のスーパーカーブームを牽引した車でもある。

ところがこの車は同じランボルギーニでも350GTである。一体どんな車なのだろうか。これもスーパーカーなのか。実はこの350GTは、ランボルギーニの初めての量産型のスーパーカーなのである。

走るカウンタック
ランボルギーニ カウンタック
車のことなどあまり知らないという人も一度は聞いたことがあるという車、カウンタック。70年代のスーパーカーブームの主役であった。
Brian Snelson from Hockley, Essex, England, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
木ノ下に停車するミウラ
ランボルギーニ ミウラ
350GT登場の2年後、1966年に発表され生産された。V12エンジンをミッドシップで搭載したすごいヤツである。ヘッドライトまわりのデザインも個性的だ。
No machine-readable author provided. PLawrence99cx assumed (based on copyright claims)., Public domain, via Wikimedia Commons】

ランボルギーニとは、どんなメーカー?

では、ここでまず、自動車メーカーとしてのランボルギーニについて語ってみたい。創業者はイタリア人のフェルッチオ・ランボルギーニで、創業は1963年である。

創業者のフェルッチオという人物の経歴がまた面白い。彼は、機械いじりが好きで第二次大戦中は自動車部隊の配属となり、戦後は軍が放出したトラックを修理、改造して販売する仕事を始めた。それが軌道に乗ると、1949年にはトラクターの製造、販売を行う会社を作り成功する。さらに1960年には、ボイラーとエアコンの製造、販売も行うようになる。

創業者フェルッチオと車とトラクター
フェルッチオ・ランボルギーニ
自社の作ったトラクターと車の間でご機嫌なフェルッチオ。1970年頃に撮られたものである。なお、左の車は1970年登場のランボルギーニ ハラマである。
archivio, Public domain, via Wikimedia Commons】

事業に成功し富を得ると、フェルッチオは趣味で超高級車、つまりスーパーカーの収集を始める。そして、お金持ちの証とも言えるフェラーリを所有するようになるのだが、彼は単にフェラーリを持つことで満足はしなかった。

フェラーリは性能的に優れた車ではあったが、故障が多かった。また、彼にとっては、どのスーパーカーも狭かったり、暑かったりでドライブを心から楽しめる車ではなかった。自分だったらもっと優れた、快適なスーパーカーを作れるのに・・・やはりこの点でフェルッチオは、根っからの機械屋、メカニックだったのだ。

そこでフェルッチオは、スーパーカーの開発チームを作り、プロトタイプの350GTVを開発、製造。1963年にトリノで行われたモーターショーで公開する。量産車を目指した車ではあったが、マスコミにも取り上げられ話題となった。そしてこの時、自動車の製造、販売を行うメーカーとしてのランボルギーニが誕生する。

350GTは、初の量産型スーパーカー。

350GTVは、話題となり一定の評価は受けたものの、やはり初めて作ったプロトタイプであった。さまざまな問題点を指摘されてしまう。そこで350GTVをベースに再設計を行い改良を加えて、1964年に量産型スーパーカー350GTをデビューさせるのである。

350GTVの写真
ランボルギーニ 350GTV
1963年のトリノモーターショーに出品された350GTV。好評を得たが問題点も多く指摘され、この車を元に350GTが再設計される。なお、ヘッドライトはリトラクタブル型である。
Craig Howell from San Carlos, CA, USA; (cropped and adjusted by uploader Mr.choppers), CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
350GTVとフェルッチオ、発表当時の写真
350GTVの説明をするフェルッチオ
フェルッチオ自らが350GTVの説明を熱心に行っている。隣で聞いているのは、モータージャーナリストのジョヴァンニ・カネストリーニ。
Unknown photographer, Public domain, via Wikimedia Commons】

そのスタイルでプロトタイプの350GTVと大きく異なるのは、やはりヘッドライトであろう。GTVのヘッドライトは、リトラクタブルヘッドライトで、点灯時に立ち上がるタイプのものである。空気抵抗を考慮しているのだが、見た目がスマートで、当時の市販車でもシボレーコルベットなどのスポーツカーで採用されていた。

ところが、350GTではこれを固定式のヘッドライトとしたのである。メンテナンス性を考えてのことだろうが、でもそれによってフロントまわりのラインがとても個性的になり、かえって魅力が増すことにもなっている。

また、350GTは、エンジン性能やサスペンションの安定性はもちろん、乗り降りのしやすさ、車内の静かさ、快適性なども考慮した作りとなっていた。カッコはいいが、車内の騒音がひどく、狭苦しく、暑いスーパーカーに不満を持っていたフェルッチオだからできたスーパーカーとなったのである。

350GTのスタイル
ランボルギーニ350GTのスタイル
正面から見ると、楕円形のヘッドライトがなんともカワイイ。また、ガラスを大きくとったバックデザインが個性的で、開放感がある。

「もっと快適な車を」という願いから生まれた。

ランボルギーニ350GTの発売当初はいろいろな悪口も当然あったことだろう。トラクター屋の社長の道楽ではじめた趣味が高じて、ついには自作のスーパーカーを製造、販売することになったのだから。しかし、この車は、単なる趣味の域を超えていた。

350GTは、戦後、トラックにはじまり、トラクター、ボイラー、エアコンと、一貫して“ものづくり”の道を歩んできたフェルッチオの「もっと快適な車を」という願いから生まれた車なのである。彼は、顧客のために、扱いやすく快適な乗り物を作り出すアイデアと技術を身につけていたのだ。

実際の350GT
350GTの実車
2020年のロンドン郊外ハンプトンコート宮殿で開催されたコンクール・オブ・エレガンスに出展された一台。やはりこの車は、スーパーカーと言うより、スポーツカーに近い感覚だ。それだけドライブの快適さを追求した車なのだろう。
MrWalkr, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

この車には、車名にGTが付けられている。GTとは、レースにも参加するような高性能なロードカーといった意味で使われることが多い。だが、GTはグランツーリスモの略である。グランツーリスモとは日本語に訳せば「大旅行」だ。本来の意味は、長距離の旅行に適した性能や快適さを持つ車ということになる。

高性能で耐久性があることはもちろん、心地よい車内空間を持ち、長距離ドライブでもストレスが無い、そんな車がGTつまりグランツーリスモなのである。それを考えると、ランボルギーニ350GTは、本物のGTスーパーカーであるということになる。

350GTの運転席
350GTの運転席
運転しやすそうである。長距離ドライブも行けそうだ。でも、皮を使ったインテリアと細身のハンドルがイタリアのスーパーカーであることを主張している。
Prova MO, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

スーパーカーメーカーとしての第1歩だった。

結局350GTは、1964年から1966年まで販売された。販売台数は諸説あるが130〜140台と言われている。初めて製造したスーパーカーとしては結構ヒットしたと言えるのではないだろうか。事実ランボルギーニは、この車の成功により、スーパーカーのメーカーとして認識され、あのフェラーリに対抗する地位を確立した。そんな意味で記念碑的車とも言える。

この車の生産が終わった1966年にはランボルギーニミウラが生まれ、さらにその8年後の1974年にはあのカウンタックが生まれている。

そして日本においてではあるが、1970年代の半ばから子どもたちの間でスーパーカーブームが巻き起こり、ランボルギーニはスーパーカーの代名詞ともなる。ランボルギーニが元はトラクターメーカーだったということは、子どもたちは知る由もなかったが。

ランボルギーニ350GT走行動画
高原の道を快走する350GTの動画である。こうした道を気持ちよく走ることができるのがGT―グランツーリスモたる所以なのである。この動画、走行中の運転席やインテリアの紹介など盛りだくさんの内容だ。