高田馬場の仇討ち。十八人斬り。

堀部安兵衛 二十三歳

「叔父上、今、安兵衛がまいりますぞ!」
街道を韋駄天走りに走るひとりの浪人の姿があった。中山安兵衛、後の堀部安兵衛である。

「酒に酔うて、叔父上の仇討ちに遅参するとは何たる不覚」
安兵衛はこの日酒に酔って長屋に帰り、そこではじめて今日の仇討ちを知ったのである。

安兵衛が高田馬場に着くと、今、まさに仇討ちの真っ最中。叔父菅野六郎左衛門は斬られてはいなかったものの、多勢に無勢、苦戦を強いられていた。

「叔父上!助太刀いたしますぞ。」

「おお安兵衛か、頼む」

安兵衛、見物人の娘から赤いしごきを借りると、それをたすきにかけ、斬り込んでいった。

馬庭念流、免許皆伝の見事な太刀さばきである。見る間に一人、二人、三人・・・。なんと十八人を斬っておとした。後に高田馬場十八人斬りと称された、安兵衛若き日の逸話である。この時二十三歳であったと言う。

堀部安兵衛(1670~1703)
越後新発田藩家臣中山弥次右衛門の子として生まれる。十四歳で父をなくし、浪人。後に播州赤穂の堀部家に入り、吉良邸討ち入りに参加。