宮本武蔵 二十九歳
身の丈六尺(約180cm)の大男。伸ばし放題の髪を、背中に垂らしている。ただ、輝く目の色だけが、異彩を放っていた。作州浪人宮本武蔵である。武蔵は、今、一艘の小舟に乗って、島へ急いでいる。
小次郎との約束の時間は、もう過ぎていたが、武蔵はそんな遅れを気にも止めず、ただ、木の櫂を一心に削っていた。ほどなくして、舟は島、巌流島についた。
「武蔵、臆したか、それとも策か。卑怯者め」
巌流佐々木小次郎は、武蔵を罵った。
しかし、武蔵は何も答えなかった。いきり立つ小次郎は、自慢の長刀を抜き放ち、鞘を投げ捨てた。それを見た武蔵、はじめて口を開く。
「小次郎、敗れたり。鞘を投げる者は、自らの命を投げたも同じなり!」
小次郎は、ますますいきり立った。しかし、この時点で小次郎は、武蔵に敗れていたのだろう。勝負は一瞬にして決まった。武蔵の手にした木の櫂が、小次郎の頭蓋を砕いたのである。
吉川英治著『宮本武蔵』でも名高い巌流島の決闘。この時、武蔵二十九歳であったと言う。
宮本武蔵( ? ~1645)
播磨あるいは美作の生まれ。剣法家新免無二斎の子として生まれる。その著『五輪書』によれば、六十数回の真剣勝負で一度も負けたことがなかったと言う。