海外事情を携えて、日本へ帰国。

ジョン万次郎 二十四歳

「いよいよ土佐か。帰ってきましたよ、おっ母さん」

ジョン万次郎二十四歳、漁の最中に嵐で遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられアメリカに渡ってから、すでに八年の歳月が過ぎていた。

そのままアメリカで暮らしても、彼は捕鯨船の一等航海士としての仕事を持つことができたし、友人もたくさんいた。その地で、自分の腕一本で将来を切り開くことができたのだった。しかし、彼は日本へ帰るという考えをどうしても捨てることができなかった。

「国へ帰れば漁師になるしかないけど、おっ母さんのいる土佐の浜浦が忘れられなくてね」

万次郎は、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで金をつくると、ハワイに渡り、そこから琉球へと渡航して、ついに日本へ帰ってくる。そして、故郷の土佐へと辿りつくのである。

時に嘉永四年(1851年)、それは、黒船来航の二年前にあたり、万次郎のアメリカでの経験は、当時の日本にとって最も必要な情報であった。万次郎は、やがて土佐藩の士分にとりたてられ、幕末の日本で、その知識と経験を大いに役立てる。

ジョン万次郎(1827~1898)
土佐に生まれる。操業中遭難、半年の漂流後アメリカの捕鯨船に救助されアメリカへ。アメリカで教育を受け、日本へ帰る。語学者として活躍。