和宮 十五歳
「あの山の向こうが関東。いよいよ、武家の嫁となるのですね」
今、和宮は江戸に向かう輿(こし)の中にあった。和宮親子内親王とその一行は、江戸の将軍家茂との婚姻のため、中山道を江戸へと急いでいたのである。
朱塗りの輿に揺られながら、和宮の胸中には、さまざまな思いが交錯していた。彼女の許婚(いいなずけ)は、すでに五歳の時に決められていた。相手は、同じ皇族である。和宮は、その時以来婚儀を待つ身として和歌や書道に親しむ毎日を送っていた。
しかし時代は、和宮をそのままにしてはおかなかった。公武合体策を謀る幕府は、和宮を将軍家茂の正室に迎えようとしたのである。幕府は強引であった。『国のため』という大義名分を掲げ、再三再四の申し入れを行った。兄孝明天皇の胸中を察し、和宮もついに、承諾せざるを得なかったのである。
「ここまで来たからには、武家の嫁として恥ずかしくないふるまいをせねば」
和宮はそう決心する。皇女和宮、まだあどけなさの残る十五歳の乙女であった。
和宮親子内親王(1846~1877)
仁孝天皇の第八皇女。婚約者との内約を棄て、公武融和策の犠牲となって、徳川家茂と婚儀をあげる。