家康奮闘す。姉川の戦い。

徳川家康 二十七歳

元亀元年(1570)、浅井、朝倉の連合軍により手痛い打撃を受けた織田信長は、その二ヵ月後早くも態勢を建て直し、再び、浅井・朝倉に決戦を挑む。世に言う姉川の戦いである。

織田・徳川軍と、浅井・朝倉軍は、湖北第一の大きな川である姉川を挟んで対峙した。決戦前夜、軍議で家康には予備隊が割りあてられた。しかし、家康は承知しなかった。

「ぜひとも先陣を承りたい。もし聞かれずば、これより帰国する」

二ヵ月前の金ヶ崎では、秀吉が殿(しんがり)を勤め、大いに奮戦していた。ゆえに、是が非でも『ここで先陣を勤め、三河勢の強さを知らしめねばならぬ』のであった。

合戦は、午前十時に始まった。数では劣るものの浅井・朝倉の軍はなかなかに強く、優勢であり、しばしば徳川勢も立ち竦んだ。家康は、ついに痺れをきらした。自らすすんで先陣を申し出た手前もあり、そのまま押されてはいられなかったのである。

「えーい不甲斐ない。ものども臆するな、わしに続け!」

家康は、単騎で姉川に飛び込んでいった。家康二十七歳、若き日の武勇を語るエピソードである。

徳川家康(1543~1616)
三河国岡崎の生まれ。織田信長、豊臣秀吉を継いで天下統一を成す。江戸幕府の初代将軍となり、幕藩体制三百年の基礎を築く。