草履取りに見せた、立身出世の極意。

豊臣秀吉 十八歳

夕刻からの雪は、まだ降り続いていた。その雪の中で、主君信長の帰りをじっと待っている小者の姿があった。織田家に召し抱えられ、草履取りを命じられた藤吉郎である。

用件が終わったらしく、信長がやっと現れた。藤吉郎が素早く草履を揃えると、信長は当然のように足を入れたが、急に顔色を変え、「無礼者!」と大きな声を発した。

「余の草履に腰をかけておったであろう、不届き千万な奴」

しかし藤吉郎、雪の降り積もる中に平伏し、こう答えた。「と、とんでもございませぬ。おみ足が冷えてはと案じ、懐にて温めておりました」

「口のへらぬ奴め、証はあるのか」信長はなおも問い詰める。

そこで藤吉郎、「殿、これをご覧ください。御免」と、自らの胸をはだけたのである。
そこには、草履の鼻緒のあとがくっきりと残っていた。

この時、信長二十一歳。藤吉郎、後の豊臣秀吉は十八歳であった。

豊臣秀吉(1537~1598)
尾張に生まれ、織田信長に仕える。最初の名は木下藤吉郎。信長亡き後、その意思を継ぎ、天下を統一。ついには、太閤の位にまでのぼる。