「父上!お許しください」、政宗の決断。

伊達政宗 十八歳

伊達政宗は十八歳で伊達家の家督を継ぐと、精力的に近隣諸国へと侵攻を開始した。

しかし、近隣の武将たちがそのまま黙っているはずはない。家督を継いだ翌天正十三年(1585年)、父輝宗を巻き込んだ大事件が、政宗の身に降りかかった。伊達家の軍門に下った二本松城主畠山義継が、父輝宗を人質にして連れ去ったのである。

その時、政宗は鷹狩りを楽しんでいた。急を聞いて駆けつけた政宗の目に写ったものは、義継の一党に連れ去られていく父の姿であった。

「このままむざむざと父上をとられたとあっては、弱みを持つことになる。なんとかせねば」

ついに父輝政を拉致した義継の一党は、阿武隈川の渡しにまでついた。二本松領は目の前である。後を追う正宗に決断を下さねばならない時がせまっていた。

「父上!お許しください」
政宗の命令一下、伊達軍の鉄砲は、父輝政と義継の一党に向けて一斉に火を吹いたのである。

伊達政宗、生涯を賭けた決断であった。この時、政宗実に十八歳である。

伊達政宗(1567~1636)
出羽米沢城主伊達輝宗の子として生まれる。奥州の雄として独眼竜の異名を持つ。家康の天下統一の後は、江戸幕府の下で仙台藩六十二万石の礎を築く。