青年蕪村、江戸へ。

与謝蕪村 十八歳

蕪村の少年時代は、あまり幸福なものとは言えなかった。生家は裕福な農家ではあったが、小さい頃に両親と財産を失ったようである。蕪村も、その頃のことはあまり語ろうとはしていない。

そして、十八歳。青年となった蕪村は、ひとり江戸に出る。彼は、絵と俳諧の道を志していた。

「江戸はいい。土地にしがみついて生きているのとは違う。俺は、この江戸で自分のやりたいことをして、身を立てるのだ」

芭蕉が世を去って四十年あまり。大衆文化が芽ばえはじめ、多くの人々が俳諧を詠むようになっていた。しかし反面、俳諧はどんどん俗化してゆく頃でもあった。

江戸にやって来た蕪村は、やがて芭蕉の門人である夜半亭巴人(宋阿)の門に入る。宋阿は、時代の風潮に逆らい、芭蕉の孤高を守るただ一人の俳人であった。

「やはり、芭蕉翁はすごい。俺の目指すものはこれだ」

そう決心した蕪村は、若いのに老成しているとの非難を尻目に、以後蕉風の道を突き進む。そして、俳聖芭蕉に次ぐ俳人としての名を後世に残すことになるのである。

与謝蕪村(1716~1783)
摂津国に生まれる。江戸へ出て俳諧を学ぶ。浪漫的俳風を生む。句文集『新花摘』などを出し、芭蕉と並び称される。画家としても名を成す。