日本全国の測量を終える。

伊能忠敬 七十一歳

江戸府内の測量を最後に、忠敬の測量はついに終わりを告げた。五十五歳に北海道の測量に着手してから、足かけ十七年。忠敬は、その時すでに七十一歳となっていた。

「これでわしの勤めも終わった。長かったのう。高橋様がこれを知ればどんなに喜ぶことか」
忠敬は、自分より十九歳も下の師高橋至時を尊敬していた。その心づかいに感謝もしていた。

彼が、地方役人の無理解な態度に会ったり、測量が進まなかったりして、測量をやめると訴えると、
「あなたは天下暦学の盛衰にかかわる大事業をやっているのです。これを途中でやめてしまっては、これほど残念なことはありません」
と、励ましてくれたのはいつも至時なのであった。

だが、忠敬の師高橋至時は、この時、もうすでにこの世の人ではなかった。忠敬の不屈の精神と至時の励まし、そして、多くの隊員たちの努力によって完遂を見たこの事業は、忠敬の死の三年後、『大日本沿海実測図』として実を結ぶ。

しかし、この地図の真価が認められるのは、それより後のことである。

伊能忠敬(1745~1818)
上総国生まれ。商人として酒造りや米取引きに才を発揮。後に隠居して江戸に出、天文学を学ぶ。幕府の命により、日本全国を測量する。