我をして五年の命を保たしめば・・・。

葛飾北斎 八十九歳

北斎は、その時までに九十三度も引越しをした。また、自分の画名を門人に売り渡すこと三十回に及んだ。百二十畳敷きの紙に大きな達磨を描いたかと思えば、米粒に雀二羽を描いてみせた。

人は、北斎を奇人と呼んだ。しかし、北斎自身は、自分のことを普通の人間だと思っている。ただ、少し人より絵に対する情熱が強いだけだ、とそう考えていた。

江戸浅草聖天町、遍照院裏の破れ長屋、ここで今北斎は、次なる絵の構想を練っていた。その時、江戸の人々の人気をさらっていたのは、『東海道五十三次』を出した安藤広重であった。

北斎は、三十七歳も年下の広重にライバル意識を感じ、広重を超えるものを狙っていたのだ。しかし、そんな彼も体力の衰えだけはいかんともしがたいものがあった。

「天がわしにあと十年の命を与えてくれれば、いや五年でもよい、五年の命を与えてくれれば、わしはきっと真の画家になってみせる」

葛飾北斎、時に八十九歳。数え年では卒寿の九十歳。しかし、彼の絵に対する情熱は、まだ盛んに燃え盛っていたのである。

葛飾北斎(1760~1849)
江戸本所の出身。多くの師に学び、『富嶽三十六景』『諸国滝廻り』など多くの作品を残した。ヨーロッパの絵画にも大きな影響を与える。