ライバルの登場に、情熱を燃やす。

葛飾北斎 七十三歳

葛飾北斎の名を不動のものとした名作『富嶽三十六景』が世に出たのは、六十歳代ももう終わりに近いころであった。

『富嶽三十六景』の大胆な構図と配色は、当時の他の浮世絵をすべて色あせたものとした。ここまで、成功したならば、普通ならそこで大家としておさまってしまうところであるが、画に情熱を傾け続けた北斎は違った。

彼より三十七歳も年下の浮世絵師安藤広重の登場が、北斎の心に火をつけたのである。広重の『東海道五十三次』は、風景版画の世界に、人間の情感を哀愁ただようタッチで取り込んだものであった。日本人好みのこの画風は、たちまちのうちにベストセラーとなった。

「広重は、すごい。なかなかのもんだ。その場に自分がいるようにいきいきとしている。しかし、写し過ぎてはいないだろうか。画とは、もともと嘘の世界だ。そのまま写生するのでなく、その向こうにある我が心を人に伝えるものだ。そうだ、わしは広重を超えてみせる」

北斎七十三歳、自分の子供、いや孫のような広重にライバル意識を燃やし、執念の絵筆を取って立ち向かってゆくのであった。

葛飾北斎(1760~1849)
江戸本所の出身。多くの師に学び、『富嶽三十六景』『諸国滝廻り』など多くの作品を残した。ヨーロッパの絵画にも大きな影響を与える。