『蘭学事始』を執筆。

杉田玄白 八十二歳

「わしはもともと体が弱かったので、ターヘル・アナトミアを翻訳するときも、みなに早くやろう、早くやろうと急かせたものじゃ。わしが草葉の陰にならないうちに、といつも言っていたので、ついに草葉の陰なんてあだ名を頂戴したよ」

玄白は、庭の植え込みをながめながら、昔、自らが心血を注いだあの難事業に思いをはせていた。

世に『解体新書』を出し、蘭学の創始者として天下に名をとどろかせていた杉田玄白、その時すでに八十二歳。愛弟子の大槻玄沢相手に、今、回想録をまとめあげていた。

「わしはオランダ語がまったくわからん、良沢殿は少しわかる。そこでまずは、図版の解説からと手をつけていったのだが、みなで頭をつきあわせて、ついに一日中一行も翻訳できなかったこともあったな。まるで、舵のない船に乗っているようじゃった」

玄白の思い出をつづったこの回想録『蘭学事始』は、西洋の科学に関心を持った時代の日本人の努力や苦心を知るまたとない資料として、貴重な本と言えるだろう。

杉田玄白(1733~1817)
江戸時代中後期の蘭医学者。若狭国小浜藩医甫仙の子として江戸で生まれる。診療のたかわら医学の研究を続け、蘭学の発展に大きく貢献。