最後の将軍、天皇陛下に謁見。

徳川慶喜 六十一歳

「麟太郎、これでやっと胸の内が晴れたよ。陛下はわしを許してくださった。有り難いことに皇后様までも、わしにお酌をしてくださったのじゃ。本当に世話をかけたな麟太郎」

「それは、よろしゅうございました。いずれは、そういう日がくるであろうと、麟太郎は確信をしておりましたよ。よくご辛抱なされました。これで、麟太郎も安心して成仏できます」

慶喜は、皇居を参内したその足で赤坂氷川町の勝海舟の家に寄り、その喜びを伝えた。

慶応四年(1868)江戸城開城のその時、朝敵となった慶喜は、死罪はまぬがれたものの、その領地は没収され謹慎を命じられた。それから三十年、慶喜は敗軍の将として、静岡で隠棲の日々を送っていた。

その政治的能力は、家康に匹敵するであろうといわれたかつての十五代将軍慶喜、旧幕臣の中には、彼を担ぎあげて政府転覆をねらう動きもなくはなかったが、慶喜は、それを避け、ひたすら恭順の意を示していたのだった。

そして、明治三十一年(1898年)三月、慶喜は江戸城に帰ってきた。勝海舟のはからいにより、ついに明治天皇に謁見を許されたのである。慶喜、六十一歳の時であった。

徳川慶喜(1837~1913)
江戸幕府十五代将軍。在任は、一年も満たないが、その間に幕政の改革を推進。その後大政を奉還する。討幕軍との戦いに敗れ朝敵となり謹慎の身となる。