北条早雲 六十一歳
その時、伊豆の国は、お家騒動で混乱状態に陥っていた。その隙を突いて、あっという間に伊豆を占領してしまった男がいる、北条早雲である。
早雲は、伊豆を盗るやいなや、国中に高札を出した。山の中に逃げていた侍や農民に、所領や田畑は変わりなく与えることを約束したのである。
「わしは、他国よりこの地に参ったが、今やそなたたちの領主となった。領主とは親である。そなたたちは、わしに対して子のように慕ってほしい。わしは、親として報いてやろう」
早雲は、さらに租税も四公六民という税率とした。そのころは五公五民が普通で、六公四民、七公三民という所まであったことを考えると、思い切った減税を行ったことになる。他国のものまでが「われらの国も新九郎殿(早雲)の国ならば」とうらやんだと言う。
謀略戦や情報戦に長けていた早雲、領民を手なずけることが、国の支配にはまず肝要なことをしっかり認識していたのである。時に、早雲六十一歳であった。この早雲の伊豆占領から、日本の戦国時代が始まるとされている。
北条早雲(1432~1519)
後北条氏の祖。堀越公方を滅ぼし、伊豆を制圧。小田原城を奇襲で落として相模に進出。後に、三浦氏を滅ぼして、相模平定を成す。