一期一会。松坂の夜。

賀茂真淵 六十六歳

大和からの帰途、真淵は、松坂の新上屋に泊まった。この宿は、今回の旅行では二度目の宿泊である。と、そこへ真淵を訪ねる者があった。本居宣長である。

真淵は、国学者として、『万葉集』の研究で目覚ましい業績を残していたが、彼は今、国学研究の究極は『古事記』にあると考えていた。ところが、宣長も

「わたくしも、『古事記』を調べたいと思っているのです」
と言うではないか。真淵は、「同じ志の者あり」と嬉しくなり、夜のふけるのも忘れて宣長と語り明かすのであった。あまりの感激に真淵は、宣長を弟子とすることを約束する。そして、

「わたしは、もうこの年だ。ぜひ君にわたしの研究を継いでもらいたい。さあ、君、これを受け取ってくれ」
と真淵は、自らの注釈を書き込んだ『古事記』一冊を贈るのであった。

この時、真淵六十六歳、宣長三十三歳。しかし、この出会いは、二人の最初で最後のものとなる。まさに、一期一会。二人の心を結びつけた運命の夜ではあった。

賀茂真淵(1697~1769)
駿河国に生まれる。江戸前期の国学者。『万葉集』の研究、『国意考』など、多くの著作を残す。