水戸黄門 六十二歳
ここは、水戸のはずれにある一軒の農家、米の採り入れのまっ最中らしく、庭先には米俵が所狭しと積んである。そこを通りかかった老人が、なにげなくその米俵の上に腰を掛けた。
すると、農家のおばあさんが飛んできて、その老人を棒でひっぱたいた。
「こら、じいさん!わしらが汗水たらしてこしらえた米の上に、なんだって腰かけるだ」
「これは、とんだ無礼をはたらいた。いや、めんぼくない」
そう言って老人は丁寧にあやまるのだが、これが前水戸藩主徳川光圀だとは、もちろんこのおばあさん、知るよしもない。
江戸時代屈指の名君といわれた光圀は、元禄三年(1690年)六十二歳で家督を譲り、水戸の山間に隠居所を造った。
隠居生活になってからも、『大日本史』編纂やら、わずかの供回りを従えた領内巡察など、いろいろな仕事をしていた。近所の農民たちとも親しく、自分でつくった手打ちのうどんをふるまったり、ときには、一緒に食することもあったらしい。
こんな水戸のご隠居の人柄が、後世『水戸黄門漫遊記』の物語を作ったのである。
水戸黄門(1628~1700)
徳川家康の十一男頼房、その三男として生まれる。徳川御三家である水戸の大名。才気換発で名君の誉れが高い。『水戸黄門漫遊記』で有名。