『方丈記』の執筆。

鴨長明 五十七歳

長明は、琵琶をかき鳴らしていた。それは秘曲であった。都、それも朝廷の中では、決して演奏できない、禁断の曲であった。

「山よ、聞け。森よ、耳を傾けろ。都人には、決して聞くことのできない調べじゃ」
琵琶より流れる切々とした響きが、深い森に吸い込まれてゆく。ここは、京より歩いて半日ほどの山里、日野村である。長明は、ここに方丈の庵を構えていた。

若き頃長明は、興に乗りこの秘曲を朝廷で演奏したことがあった。しかし、そのため出世の道を閉ざされてしまったのである。長明は、その事件以来役人としての生活に嫌気がさしていた。いや、役人どころか、この世の中すべてから離れたかった。

長明は五十歳にして出家し、この地に庵を結んで好きな管弦と詩歌の暮らしを続ける。『方丈記』は、この庵において一気に書き上げられたと言う。長明五十七歳の時のことである。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖(すみか)とまたかくのごとし」

鴨長明(1155~1216)
京都に、下鴨神社の神官の子として生まれる。詩歌、管弦の道を学び、歌や歌論書等を残す。後に出家し、日野に庵を結び隠遁生活を始める。