曾根崎の事件を題材に、心中物を書く。

近松門左衛門 五十歳

元禄十六年(1703)四月、大坂曾根崎天神の境内で、若い男女が心中事件を起こす。醤油屋の手代徳兵衛とお初とが、仲を裂かれ、二人で心中を遂げたという事件であった。
近松門左衛門は、この事件を題材に、まったく新しい浄瑠璃『曾根崎心中』を書きあげる。

「この世もなごり、夜もなごり、死にに行く身をたとふればあだしが原の道の霜・・・・七つの時が六つ鳴りて残る一つが今生の、鐘のひびきの聞きおさめ・・・」
『曾根崎心中』は、つい最近起こった事件から取材したという新しさ、語るリズムの美しさ、そして、登場する男女の愛のせつなさが人気を呼んで大当たりをとる。

「やっぱり、これじゃ!芝居は、今生きている人間の生きざまを見せるもんなんじゃ」
浄瑠璃の作者ということで、これまで何となく引け目を感じていた近松であったが、彼は今、自分の浄瑠璃の可能性に、大いに自信を持つのであった。

「芝居書きでこの身が朽ち果てるのは覚悟の上じゃ。わが名を人々に堂々と知らせようぞ」

そして、近松は、公然と署名入りで作品を発表し出す。五十歳の時のことである。

近松門左衛門(1653~1724)
越前国に福井藩士の子として生まれる。古浄瑠璃の台本を執筆。後に竹本義太夫と新しい浄瑠璃を始める。世話浄瑠璃を創始、大当たりをとる。