敵は、本能寺にあり。

明智光秀 五十四歳

愛宕山。古来ここは、戦の神をまつる霊場として名高い。光秀は、その愛宕山の神前で三度クジを引いた。何か心の迷いを決するかのように・・・。

翌日、愛宕山で連歌の興行があった。発句を光秀が吟じた。
「時はいま 天が下しる 五月かな」

この時、列席していた連歌の宗匠里村紹巴、この発句を聞いてあっと思った。
「時とは土岐、つまり明智殿の事じゃ。雨が下しるとは、すなわち天下を治める事か!」

そして、天正十年(1582年)六月一日、ついに運命の時が来た。

この夜光秀は、一万三千の兵を率いて、秀吉の援護と称し中国路へと出発した。丹波を出て、老の坂を越えると桂川に出る。中国路へは、ここから南下しなければならない。川を渡れば、京である。ここで光秀は突然、全軍に桂川を渡るよう命じた。そして、

「わが敵は、中国にあらず。敵は・・・本能寺にあり!」
と、全軍にその真意を伝えたのである。この時、光秀五十四歳であった。

明智光秀(1528~1582)
美濃に生まれる。信長に仕え、信長上洛の際、これに従う。石山本願寺攻めに参加。丹波攻略にも奮戦。後に信長を本能寺に討つ。