四十七歳にして、明国で画を学ぶ。

雪舟 四十七歳

雪舟は、画の天才であった。寺の小僧であった子供の頃、雪舟が涙で描いた鼠を、師の坊が生きた鼠に間違えたという話は有名である。その雪舟も、四十七歳。今彼は、遣明船へと向かう小船の中で、大きな夢を描いていた。

「ようやく、ようやくにして明国へと赴くことができる。明国は、わしにきっと、画の神髄を教えてくれるに違いない」

雪舟は、明に渡り水墨画の源流に触れ、自らの画をさらに趣深いものにしたいと考えていた。しかし、明国(中国)に渡るといっても、簡単にはいかない。まして、遣唐使船のある時代ならいざ知らず、この時代は、勉学のために明国へ渡る者などそうはいなかったのである。

雪舟は、周防山口にある守護大名大内氏が、明国と私的な貿易をしているのを知る。そこで彼は、その地に雲谷庵というアトリエを構えて、渡明の機会を今か、今かと待っていたのである。

応仁元年(1467年)、ついに雪舟の願いがかなう。雪舟は、この年大内氏の遣明船に同乗し、明国へと渡る。描いた大きな夢を、現実のものとするために・・・。

雪舟(1420~1506)20
備中国に生まれる。相国寺の周文から画を学ぶ。明国へ渡り、画を学び帰国。山水画を中心とする水墨画を完成させ、さまざまな作品を残す。