全身麻酔による外科手術に成功。

華岡青洲 四十四歳

染め物屋利兵衛のところから、母の病を見てくれという使者が来てから二日後、その母が駕籠にゆられて青州の家に到着した。青州は、一目診るなり、それが乳ガンであることがわかった。手術が必要であった。

しかし、その頃の医術は主に薬を使って治すものであり、皮膚や肉を切っての治療は、あまり行われていなかった。しかも、青州がその時試そうと思っていた全身麻酔は、まだ、誰もやったことがなかったのである。

「これは、切って取るのが治る一番の近道じゃ。わしは、痛みを感じさせない薬も持っておる」

この年、利兵衛の母が来る前に三人の乳ガン患者が青州のもとを訪れていた。しかし、彼らは青州の手術の話を聞くとみな帰ってしまった。こんどもそうか、青州はそう思って聞いたのだった。

「ダメでもどうせ死ぬ体。治るのなら、先生様の思うとおりにやってくだされ」
利兵衛の母は動じなかった。

そしてついに、青州は自らの手で作った麻酔薬『通仙散』を使って手術に成功する。彼女は、痛みを訴えなかった。青州四十四歳の時の事である。

華岡青州(1760~1835)
紀伊国で蘭法医華岡直道の子として生まれる。京都でオランダ流外科を修める。帰郷して開業。麻酔薬を開発して乳ガンの手術等に使い、成果を上げる。