大坂夏の陣にて、家康を震撼させる。

真田幸村 四十八歳

元和元年(1615年)五月七日。大坂城の攻防は、もう終わりを迎えようとしていた。今日でこの戦、決着がつく・・・誰もがそう考えていた。

「みなの者、今日こそ大坂方の意地を見せるのじゃ!われらが死に際を武勇で飾ろうぞ」

幸村は、この日死を覚悟していた。その出立は、緋縅の鎧に、白熊付き鹿の角の前立の兜。真田の全軍も赤一色の物の具、旗指物という派手な出立であった。真田勢が陣取った茶臼山は、まるで赤いつつじが咲いたような艶やかさであったと言う。

「目指すは、家康が本陣。一気に突き入れ!」
幸村とその軍勢は、家康の本陣目掛けて錐のように突進していく。

あわてたのは、家康とその旗本である。まさか、本陣まで迫ってくるとは考えてもいなかった。家康軍は崩れた。敵に後を見せたことのなかった三河武士が、馬印を伏せて逃げたのである。

「真田は日本一の強者。古来の物語にもない」
と、徳川方を感嘆せしめた真田幸村。この時、四十八歳であった。

真田幸村(1567~1615)
真田昌幸の次男として生まれる。秀吉の配下に加わり、小田原征伐、朝鮮の役に参戦。大坂の陣では、大坂方の将として奮戦する。